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2018年9月15日

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樫山幸夫 (かしやま・ゆきお)

産經新聞元論説委員長

産經新聞元論説委員長。政治部で中曽根首相番、竹下幹事長番、霞クラブ(外務省)詰め、ワシントン特派員、同支局長、外信部次長、編集局次長、正論調査室長兼論説委員などを経て、2015年6月から産経新聞社監査役。2度のワシントン勤務時代は、ホワイトハウス、国務省などを担当、米国の内政、外交など幅広く取材した。

 まさに緊急事態というべきだった。台風21号で関西空港が水没した翌々日の9月6日、北海道が震度7の地震に見舞われた。多くの人が死傷、全道にわたる停電によって道民は闇のなかでの不便を強いられた。

 自衛隊、警察、消防による不眠不休の救出、救援活動が連日報じられたが、こうしたなかで、司令塔であるはずの政府のカゲが薄く、事態収拾への決意や行動が国民によく伝わってこなかったのは、不可解であり残念だった。安倍晋三首相は記者会見で直接国民に語りかけることをせず、防災担当大臣など何をしているのか、どこにいるのかすらわからなかった。非常の時、国民に状況を的確に説明し、動揺を抑えることは指導者に求められる役割、資質であろう。政府は怠慢だったなどと批判するつもりは毛頭ないが、「危機における指導者の振る舞い方」はどうあるべきか。大いに考えさせられた。

(Orla/Gettyimages)

首相はなぜ記者会見せぬ?

 6日未明の北海道胆振地方を震源とする地震で、安倍首相は早くも午前6時前には官邸の危機管理センターに入った。各紙報道によると、首相は記者団に対し「土砂崩れ、家屋倒壊、大規模な停電が発生している」と状況を説明した。首相はこの日、午前7時半すぎからと、午後6時すぎからの2回、関係閣僚会議に出席。テレビでも伝えられたように、救助、救援活動を始めている自衛隊4000人を2万5000人に増員することなどを表明した。

 これらがテレビで放映されたとはいえ、あらためてカメラの前で国民に語りかけるべきだったのではないか。早朝の短いコメントだけでは十分とはいえなかった。
 
 この地震から2日前の9月4日には、台風21号が四国から近畿を縦断し、西日本の空の玄関口、関西空港が冠水。対岸との連絡橋にタンカーが衝突して利用客ら8000人が空港で夜を明かすことを余儀なくされた。さかのぼれば、6月には多くの帰宅困難者を出した大阪北部地震、7月は犠牲者が200人を超えた西日本豪雨が起きている。その爪痕がなまなましいなかでのあらたな水害と地震。関空の機能不全、北海道の停電長期化による物流、観光、道民の健康、ひいては日本経済への悪影響が心配されはじめ、混乱と国民の不安、懸念は少なくなかったろう。

 混乱した地震直後の動きの中で、具体的でわかりやすかったのは6日午前の世耕経済産業相による停電の現状と復旧の見通しについての説明だった。これこそ、首相が記者会見で行うべきではなかったか。首相は6日午後の閣僚会議で、翌日の電力復旧の見通しについても言及しているのだから、それらを含め、政府の救援活動への取り組みの全容を説明することもできたろう。首相が9日の被災地視察で明らかにした「プッシュ型支援」(地元の要請を待たずに国が水、食料、自家発電機の燃料などを供給する)も、発生直後に即断できることではなかったか。初日に国民に伝えていれば被災者の安心感も増したろう。

少なくなかった国民に伝えるべきこと

 他府県からの人的支援、民間企業からの食料、飲料水供給などでの協力、医療機関の協力要請も必要だった。孤立に近い状態にあった関西空港は、空港管理会社、連絡橋を管理する西日本高速道路、鉄道会社など当事者が多く指揮系統が混乱するというなら、閣僚ら政府関係者に復旧の陣頭指揮にあたらせることなども明らかにしてよかった。

 関空や千歳空港に取り残され、情報不足で心細い思いをしている外国人観光客に首相が直接、安心するよう語りかければ、海外に与えた印象も違ったろう。

 もちろん、カメラの前に立ちさえすればそれでいいということではないが、ただ「人命第一」「政府は一生懸命やります」というお題目だけでなく、直接国民に説明、訴える府対策はいくらでもあった。

 災害時の緊急の救援、救急活動は一義的に都道府県、市町村の責任で行われる。東日本大震災の時に見られたように、行政機関の権限も複雑に絡み、中央政府としても即座に対応を取ることが難しいという事情は理解できる。しかし、ことは多数の死傷者が出ている大地震であり、日本経済に大きな影響を与えると懸念される大空港の機能不全だ。国の指導者として思い切った指導力を発揮し、その姿を国民に見せることが必要ではなかったか。
 
 地震前日の首相の行動にも議論があるかもしれない。関西空港冠水の中で一夜が明け、混乱が続く中で、首相は自民党総裁選に向けた新潟県への遊説に出かけた。5日の首相動静(6日付産経新聞)によると、首相は5日朝、国土交通省の事務次官、道路局長、航空局長らの報告を受けている。関西空港についての説明だろうし、深刻な状況が報告されたのは想像に難くない。それを知ったうえでの遊説だったのか。

 首相は7月の西日本豪雨の際、欧州、中東歴訪を中止した。対策の指揮を取らなければならないのだから当然だった。今回は日帰りの国内遊説であり、差支えないと考えたのかもしれないが、総裁選が目的であることを考えれば、意見が分かれるところだろう。

 もっとも、過去の例を見ても、政府が十分な初動態勢を取っていたかというと、かならずしもそうとばかりはいえない。

 1995(平成7)年1月17日の早朝に起きた阪神大震災時、当時の村山富市首相(当時)は午後4時になってようやく〝緊急〟の記者会見を開いた。筆者は当時、新聞社の政治部デスクだったが、政府の動きが鈍いことに業を煮やした故後藤田正晴氏が村山氏に直接電話でアドバイスして、首相が腰をあげたという話を聞いたことがある。事実とすれば、警察庁長官として「よど号乗っ取り事件」「あさま山荘事件」などの捜査を指揮、官房長官としても修羅場をくぐってきた後藤田氏はさすが危機管理のプロだったというべきだろう。

 ちなみに村山首相は、国家へのテロである同年3月20日の東京での地下鉄サリン事件の際、夕方になって短時間、メディアのインタビューに答え、「阪神大震災の対応遅れへの反省」(3月21日付産経新聞)と揶揄された。

 2011年(平成23)年3月11日の東日本大震災では、菅直人首相(同)は発生から約3時間後に2分間の記者会見で国民に平静を呼びかけた。どの程度の効果があったか。

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