2024年4月23日(火)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2011年7月4日

 実際のところ中国の共産党・政府内では、高速鉄道、とりわけ沿線の国内総生産(GDP)が全国の4割超を占める北京―上海間の高速鉄道は、中国の近代化つまり改革・開放の「象徴」ととらえられてきた。新華社電によると、北京―上海間の高速鉄道計画の発端は、1978年に編纂された『高速鉄道』という書籍を基に研究・設計に着手したのが最初だった。

 78年は鄧小平の指揮の下で改革・開放が始まった年。同年、来日した鄧小平は新幹線に乗車し、「速い。まるで後ろからムチで追い立てられているようだ。まさにわれわれに必要なものはこれだ」と叫んだ。この時から、中国近代化と新幹線は切っても切り離せないものとなった。

独自開発する時間がないから「時間を外国から買う」

 2003年ごろまでは「レール方式かリニアモーターカー方式」で意見が分かれた北京―上海間高速鉄道計画を推進する上で、鄧小平も夢見た日本の新幹線技術導入は最も有力な選択肢で、導入の一歩手前まで話が進んだ。中国政府関係者からも「新幹線を21世紀の日中のシンボルにしたい」との声も上がったが、小泉純一郎首相による靖国神社参拝で中国国内の反日感情が高まると、鉄道相・劉志軍は率先し、日本技術に消極的姿勢を示した。劉は歴史問題に厳しい江沢民前国家主席に近く、「新幹線導入に反対した江氏の意向が働いた」と明かすのは北京の中国筋だ。

 以降、北京―上海間高速鉄道計画は、日欧の技術を基に「国産化」への道を選ぶ。いわば「(完全に独自開発する)時間がないから、時間を外国から買う」(国家発展改革委員会幹部)戦略だ。それに日本で協力したのが、川崎重工業とJR東日本などだった。川重を中心とした日本連合は04年、フランスやカナダと共に、JR東日本の東北新幹線「はやて」の改良車両60編成を受注したのが最初で、今回の北京―上海間も「はやて」の技術を生かした「CRH380A」が、独シーメンスの技術を導入した「CRH380B」と共に北京―上海間を走行している。

350キロを取り下げる決断

 いわば日本をモデルにする「日本型近代化」から、日本を踏み台に日本を追い抜く「中国式近代化」に転換した。日本を超え、「世界一」になるにはスピード追求しかない。そして劉志軍は「350キロ」に固執した。その後、劉の汚職事件が発覚。安全性とコストを考慮したというのが公式見解だが、劉の腐敗が発覚して減速を決めたのか、減速を決める過程で劉が邪魔になったため汚職で首を切ったのか――。

 いずれにしても、共産党創立90周年を前に国家の威信を懸けた「350キロ」を覆すのは、何よりもメンツにこだわる中国にとって異例の事態であり、その背後には大きな政治的・社会的要因が潜んでいると言えよう。


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