児童書で読み解く習近平の頭の中

2018年10月11日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

毛沢東思想を狂ったように礼賛する「日本人大学教授」の手記

 文革の進展と共に毛沢東思想は一層の無謬性を発揮しはじめ、針治療は針麻酔へと格段の進化を遂げたのであった。

 1971年に出版された『針刺麻酔探秘』(林健雄編 平正出版社 1971年)によれば、「患者が手術台に横たわり医者が手術を施す。医者は患者に麻酔薬を使わないが、患者の精神は冴えわたっていて話が出来るだけでなく、食べ物を口にすることだってできる。だが、痛いという感覚は全くない」――これが針麻酔である。

 この本が出版された当時、生後2日の嬰児から80歳を越えた老人まで、軽い病気から「休克(ショック)」が原因で意識不明になった重篤患者まで、頭部から胸部・腹部を経て四肢に至る疾病の手術に針麻酔が用いられていると報告された。

 漢方の一部として古くから針治療は行われてきたが、鎮痛効果に着目した医者が扁桃腺摘出手術の際に使ったのが針麻酔の最初だそうだ。1958年に本格的に針麻酔の臨床実験に着手したが、当初は近代西洋医療を絶対視する劉少奇派の医者から「非科学的だ」「実用の価値なし」と徹底批判され、研究成果の全国への普及を阻まれた。

 だが文革が始まるや、劉少奇派の医療思想が徹底的に批判される。毛沢東が唱える「自力更生」という摩訶不可思議な“文革式中華国粋主義”が一世を風靡した結果、「統計によれば、文革前の8年間に全国で行われた針麻酔による手術は1万例に満たなかったが、文革開始以来、各地で施された針麻酔による手術は40万例を軽く突破。上海市では、手術可能施設を持つ病院の90%以上で針麻酔が施されている。上海市のある病院においては脳外科手術の90%以上で針麻酔を実施した結果、手術後の死亡例は大幅に低下した」そうだ。

 中国における「統計によれば」の「統計」なるものが、そもそも眉唾モノだけに俄かに信じるわけにはいかないものの、毛沢東思想が針麻酔を生み出し進化させた成果を誇示したいということだろう。

 巻末には、武漢医学院付属第二医院手術室2階の見学室からガラス越しの近距離で針麻酔手術を見学した菅沼正久・本州大学教授の手記が付されている。

――患者は40歳ほどの女性と50歳前後の男性で共に労働者。前者は甲状腺、後者は三叉神経の疾患だ。執刀医と看護婦は総計8人。「10時01分、患者を含む全員が一斉に『毛主席語録』を学習する。10時09分、執刀開始」。10時36分、2センチほどの患部を摘出。6分後に縫合手術開始。完全消毒のガーゼで傷口を包む。「10時58分に縫合手術完了。同時に針麻酔も終わり針を抜く。11時過ぎ、患者はベッドから起き上がり、サンダルを履き、頭をもたげて見学室の我われに目を向け、『毛主席語録』を打ち振って感謝の意を表す。私はガラスを間にして、いま目にした手術の一部始終をすっかり忘れ、彼女に向かって手を振って感謝した。看護婦が切り分けたりんごを載せた皿を渡すと、患者は幾切れか食べた後、看護婦の支えを断って、すぐに手術室を出て行った」。

三叉神経手術では、頭部切開手術中にも患者は果物を食べ『毛主席語録』を打ち振る。2階の見学者に執刀医の手元がよく見えるように鏡が用意される。「鏡に映る患者の視線と私の視線とが、確かに重なり合った」。もちろん、この手術も大成功し「現代医学体系に創造的な貢献をした」――

 因みに菅沼教授は、当時の我が国の学界や論壇における毛沢東思想研究第一人者と評価され、文革礼賛の旗を狂気のように打ち振っていた代表的人物の1人である。

毛沢東思想は「武術」や「水泳」にも効く?

 1972年には、針麻酔に関する百科全書とでもいうべき『針刺麻酔』(《針刺麻酔》編写小組)が出版されている。毛沢東派メディアの牙城であった上海人民出版社からの出版だけあって、「前言」は「毛主席は『中国の医薬学は偉大な宝庫である。発掘に努め、水準を引き上げるべきである』と指摘する。針麻酔は毛主席のこの指示を実践し成功裏に創造した新たな医療技術である」との“毛沢東賛歌”で始まる。

 針麻酔の次はラジオ体操とでもいうのだろうか。1972年出版の『新広播体操手冊』(人民体育出版社)は毛沢東の「『体育運動を発展させ、人民の体質を強化せよ』との偉大な呼び掛け」に応じて考案された新広播体操(新ラジオ体操)の解説書――演技写真と伴奏曲譜付き――である。

「毛沢東思想」を植え付けるために出版されたトンデモ本の数々(写真:筆者提供) 写真を拡大

 1973年になると『初級刀術』、『怎様練習游泳』が共に人民体育出版社から出版されている。両書ともイラスト入りで、前者は青龍刀による演武を、後者は水泳練習方法を当然のように毛沢東思想に基づいて解説している。

 1974年に出版された『推拿療法』(安徽医学院付属医院《推拿療法》編写小組編 仁峯井正出版社)、『保健按摩』(谷岱峰編著 人民体育出版社)の2冊は簡便なマッサージ解説書だが、共に毛沢東の「人民のために、戦争に備え、飢饉に備えよ」の教えを掲げる。

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