オトナの教養 週末の一冊

2018年11月9日

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本多カツヒロ (ほんだ・かつひろ)

ライター

1977年横浜生まれ。2009年よりフリーランスライターとして活動。政治、経済から社会問題まで幅広くカバーし、主に研究者や学者などのインタビュー記事を執筆。現在、日刊サイゾーなどに執筆中。ブログ:http://golazo-sala.cocolog-nifty.com/pinga/

――日本では、昨今クラブチームが増えてきたとは言え、一般的には中学校から部活動を中心にスポーツが行われています。アメリカのスポーツはどのように行われているのでしょうか?

鈴木:ちょうど息子が、アメリカの高校へ留学しています。高校では、日本的な部活という概念はなく、シーズンスポーツという考え方です。たとえば、アメフトは秋、野球は春、バスケは冬とそれぞれのシーズンにプレーするスポーツがあり、コーチがいて練習をします。生徒は、シーズンごとに好きなスポーツに参加することができ、強制はありません。

 日本の学校では、公式戦には上手な1軍の選手しか出場できませんが、アメリカの高校の場合、1軍と2軍(1軍以外)にわかれていて、それぞれに公式戦があり、特に2軍では練習に参加さえすれば誰でも少なくとも試合の一部に出してもらえることが多いです。ベンチを温めるだけの子は通常おらず、そのスポーツをプレーしたい生徒が練習に参加すれば、それなりに満足できるというコンセプトが強いように感じます。その点、勝利至上主義一辺倒なわけではないのです。

 また、施設も非常に充実しています。息子が通っている高校はスポーツ校ではありませんが、野球の場合、1軍用と2軍用にそれぞれ芝生の練習グラウンドが用意され、ブルペンやトレーニングマシンも設置され、本格的な環境が整っています。

――よく映画などで観るのは、アメリカの大学スポーツの華々しい雰囲気です。今お話しいただいたようなごく普通の高校から、映画に登場するような大学スポーツへと進むのでしょうか?

鈴木:いえ、アメリカにもバスケットボールならバスケットボールの強豪高校があり、有望な子どもたちをスカウトしています。その中でふるいにかけられた子どもたちが、もはやセミプロ化した大学スポーツへ進むのです。

――アメリカの大学スポーツはセミプロ化しているんですか。

鈴木:20世紀半ばころより、特にアメフトやバスケットボールで顕著ですが、大学スポーツはセミプロ化してきました。第二次世界大戦後、アメリカではベビーブームを迎え、学生の獲得競争が過熱し、大学スポーツが宣伝媒体として機能すると同時に、テレビの放映権料が商業化を後押しした。

 いまでは、名門チームには専属の広報までつき、日本の大学運動部とはまったく違った環境です。

――アメリカの大学は入学してから勉強が大変だと聞きます。弊害はないのでしょうか?

鈴木:学業がおろそかになるのではないかという懸念は以前からあります。なかには、試験も受けず、宿題も提出していないにもかかわらず「単位を与えろ」と運動部や学校当局から担当教員に圧力がかかった例もあります。こうした圧力に対し、自校の勝利のために協力する教員もいますが、拒否したり、密告する事例もあります。ただ、問題なのはNCAA(全米大学体育協会)を構成しているスタッフにスポーツ名門校出身が多く、名門校でNCAAの規則への違反があっても徹底的に処罰されてきたとは必ずしも言えないことです。

 このように運動部の影響力が強くなると、大学のガバナンスが歪められ、運動部の選手にだけ特別待遇が与えられてしまう。日本版NCAAの導入の動きがありますが、NCAA自体が決して完全無欠ではない点を忘れてはならないでしょう。

――他にも弊害はあるのでしょうか?

鈴木:アメフトとバスケットボールで特にビジネス化の度合いが高いのですが、大学スポーツで成功することでプロへの道がひらけ、経済的に成功する可能性が増します。アメリカでは、大学スポーツで活躍しないと基本的にプロ選手にはなれません。そうなると、一部のスポーツが、運動神経の良い、才能豊かな子どもを吸い取り、他の競技が衰退してしまう。

 映画『フープ・ドリームス』でも描かれていますが、まともな教育を受けられない貧困にあえぎ、社会的階段を上がっていくチャンネルが限られている子どもたちにとって、身一つで這い上がれるスポーツは、自分の将来をかけるうえで魅力的です。そうした子どもたちを供給源として、アメリカのプロスポーツが支えられている側面もあります。

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