赤坂英一の野球丸

2018年11月14日

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「86年のシリーズの再現になるぞ」

 「おい、こりゃあ、86年のシリーズの再現になるぞ。(0-2とリードされていた)五回2死二、三塁で(先発・千賀滉大の)代打に(アルフレド・)デスパイネを出したら、内野安打とエラーで(2-2の)同点になったろう。正直、わしはちょっと早いと思うたんじゃが、あとになってみたら、あの場面しかデスパイネの使いどころはなかったわ。工藤監督の勝負強さはさすがじゃ。久々に86年に打たれたサヨナラヒットを思い出したわ」

 その工藤が西武のエースだった時代、広島は91年のシリーズでも2勝を献上し、日本一をさらわれている。しかも、84、86年と同様、先に3勝して王手をかけていながら、だ。

 最大の敗因は、山本浩二監督の継投ミスにあった。3勝2敗で迎えた第6戦、1-1の同点だった六回2死満塁で、山本監督が金石昭人を降ろし、第7戦の先発予定だった川口和久を投入。代打の鈴木康友に勝ち越しタイムリーを打たれてこの試合を落とし、第7戦も大敗してしまったのだ。

 達川さんはよほど悔しかったのだろう、第6、7戦の試合後はコメントを残さずに球場を後にしている。この年、全試合を取材し、最後に達川さんにぶら下がった私がどうにか聞き取った言葉は、「どけえや」「痛いじゃないか」の二言だけだった。ふだんは饒舌でひょうきんなキャラクターで売っている達川さんの胸中に、このときどれほど滾るような感情が渦巻いていたか、駆け出しの野球記者だった私には知る由もなかった。

 この91年、36歳だった達川さんは引退をささやかれていた。広島が日本一になったら、それを花道に辞めるのではないか、と。結果的に日本一を逃したためかどうか、現役生活はもう1年延びて、翌92年にユニフォームを脱ぐことになるのだが。

 今年、シリーズ終了後に達川さんがソフトバンクを退団すると聞いたとき、あの91年のことが私の脳裡をよぎった。ソフトバンクを辞める年、34年ぶりに日本一になれたのは、選手としてシリーズに心血を注いできた達川さんに、野球の神様がくれたご褒美だったのかもしれない。さっそく電話して「お疲れ様でした」と伝えると、達川さんは笑ってこう言った。

 「これからのことは何も決まっとらん。明日からまた仕事を探さにゃいけん。長内(孝=広島OB)がやっとる焼き鳥屋でバイトでもしようかの。時給にインセンティブをつけてもろうて」
(文中一部敬称略)

  
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