定年バックパッカー海外放浪記

2018年11月25日

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高野凌 (たかの りょう)

定年バックパッカー

1953年生まれの62歳。横浜生まれ、神奈川県出身。大学卒業後は商社、メーカー勤務を経て2013年定年退職。2014年春から海外放浪生活を始める。放浪歴は地中海、韓国、インドシナ半島、インドネシア、サンチアゴ巡礼など。サラリーマン時代は主として海外業務に従事。ニューヨーク、テヘラン、北京にて海外駐在を経験。身長170センチ、57キロ。獅子座。A型。現在2人のご子息は独立し、夫人との2人暮らし。孫1人。

(2017.11.4~2018.1.10) 68日間 総費用33万9千円〈航空券含む〉)

第一次政界大戦後欧州からの移民の受け入れ、本音は『英国移民熱烈歓迎』

メルボルン中心街の観光名所が集まっている地区では無料の旧型路面電車が 運行されている。いつも中国人観光客で一杯である

 第一次世界大戦の戦乱により欧州各国で大量の生活困窮者が発生したこと、オーストラリアの若者が6万人近くも戦死して若年労働力が不足したこともあり、オーストラリアは大戦後積極的に欧州移民の受け入れを図った。

 しかし実際には英国・アイルランド出身者を最優先したようだ。博物館の展示を見ると、当時オーストラリア政府は英国民に向けて新聞広告や街頭ポスターで「広大で豊かなオーストラリアで夢を実現しよう」といった移民キャンペーンを盛んに展開して英国市民の移住を誘致したようだ。特に若者や新婚カップルを優遇。『新婚さん、いらっしゃーい!』である。

『あなた方一家の入国は認められません』、過酷な面接試験

グレートオーシャンロードの途上で中国人ご夫婦と。息子夫婦が先に移住し て、家族呼寄せ制度で親夫婦も移住してきたようだ

 英国・アイルランド以外の移民に対してはかなり厳しい入国審査をしていたようだ。移民博物館には当時の入国審査を再現したコーナーがある。小さな個室で審査官が机を挟んで移住希望者にインタビューするビデオ映像が流されている。面接審査終了後に入国の可否を見学者がボタンを押して予想するというクイズになっている。数秒後に審査官の判断が画面に映され審査官から見学者に理由が開示される。

 バルカン半島から来た夫婦、娘の一家三人のインタビューの映像。片言の英語を話す夫に対して審査官が質問。夫は質問を聞き取れず審査官が何度も質問を繰り返した。夫の職業は大工であり経験年数や技量について詳細な質問がなされた。

メルボルンとタスマニアを結ぶフェリーボート。大型船であるが外洋では揺れが大きく多少船酔い気味に

 問題は10歳くらいの娘であった。審査官が直接呼びかけても反応がない。両親が娘に反応するよう促すが声が出ない。小さい頃に病気で耳が聞こえなくなったと父親が説明するとさらに審査官が娘にジェスチャーをまじえて呼びかけた。しかし娘は無反応であった。審査官は娘が何らかの病気か障害があると疑った。父親は人見知りする性格だと必死で反論。

 結局審査官の判断はNO。判定理由は「娘の発達障害、母親が全く英語を解さないこと」であった。

メルボルン出港後にふぇりボートよりメルボルン市街地を望む

 次に若い中国系と思われるアジア人女性が登場。英語は流暢である。職業はベビーシッターで婚約者が農場で働いているという。審査官は出身地や両親の居住地など簡単な質問をしただけで面接終了。結果はNO。判定理由はアジア系(非白人)だからと。面接前から判定は決まっていたのである。

第二次大戦直後の英国移民誘致大作戦

タスマニア北岸のワインヤード近くの海岸。岩礁に集まるリトルペンギン

 戦後の混乱が収まるとオーストラリアは前段で述べたように長期的な人口増加を目標に移民政策に取り組んだ。先ずは英国・アイルランドへの移民誘致キャンペーンである。『燦燦と陽光に溢れるオーストラリアが君たちを待っている』など第一次大戦後と同様の街頭ポスター、新聞広告、さらにはラジオCM、映画館でのCMとあらゆるメディアを活用して政府広報の誘致キャンペーンを展開。

 特に目を引いたのは若い独身女性への勧誘のポスターである。風光明媚な海岸沿いの公園で遊んでいる家族が『貴女の輝く未来はオーストラリアに』と誘っていた。

多文化主義移民政策への移行と非英国系移民の受け入れ

 1950年頃から労働力不足を補うために英国以外の欧州各国からの移民受入を増やしていった。特に未熟練労働者が南欧各国から流入した。それでもこの時代には移民の75%くらいは英国系であったようだ。

 その後、1972年に多文化主義を認める移民法が成立。ベトナム戦争終了後には大量のベトナム難民を受入れ。21世紀に入りインド人、中国人など非白人移民者が移民者の過半数を超えるようになり現在に至っている。過去10年の実績ではインド人、中国人が多数派となり、近年では中国人がトップである。ちなみに英国からの移民は10%程度のようだ。

 移民博物館では時間がなくなり、1972年以降の展示コーナーは足早に概観だけを追っただけであった。

 白豪主義を廃止して門戸開放した結果どうして現在では中国・インドの移民が圧倒的多数を形成するようになったのか背景が今一つ理解できなかった。

タスマニアの少女の多文化主義礼賛

タスマニア北部のスコッツデール付近の森林鉄道の跡地。現在はサイクリン グロードとして整備されているが当日は誰にも会わなかった

 12月15日夕刻タスマニア島北部中央に位置するデボンポート港に上陸。12月17日ワインヤード手前の海岸を散歩しているアジア系女子リリーと遭遇。このあたりはリトルペンギンの生息地だ。

 リリーは地元出身で、父親は広州出身の中国人で母親は関西出身の日本人という日中ハーフ。リリーはメルボルンの大学で薬学・化学を勉強中の大学2年生。クリスマス休暇で帰省中。日本語も中国語も片言しか話せないと苦笑。

 彼女の大学でも中国を筆頭にアジア系留学生が多くコースによっては大半が中国人という。リリーはオーストラリアが中国・インド・アセアン諸国などアジア系市民が増えることで理想的な多様化社会になると現在の移民政策を積極的に評価していた。

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