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2018年11月24日

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樫山幸夫 (かしやま・ゆきお)

産經新聞元論説委員長

産經新聞元論説委員長。政治部で中曽根首相番、竹下幹事長番、霞クラブ(外務省)詰め、ワシントン特派員、同支局長、外信部次長、編集局次長、正論調査室長兼論説委員などを経て、2015年6月から産経新聞社監査役。2度のワシントン勤務時代は、ホワイトハウス、国務省などを担当、米国の内政、外交など幅広く取材した。

活発な対日世論分断工作

 60年におよぶ対峙の間、日本はよく闘いながら、結局、旧ソ連、ロシアに、じりじりと追い込まれてしまった。背景には、旧ソ連時代から先方が活発に展開してきた日本世論分断策、日米離反策が大きな成果をあげたといえるかもしれない。

 旧ソ連、ロシアの対日工作には、古くは1954(昭和29)年、日ソ共同宣言以前に起きた有名なラストボロフ事件がある。

 ソ連代表部のユーリー・ラストボロフ2等書記官が、あろうことか外務省職員、シベリアに抑留されていた旧日本軍将校など多くの協力者を使って、日本の再軍備に関する情報などを違法に入手した。同書記官は米国に拉致されたが、協力者からは自殺者も出るなど本格的なスパイ事件といえる展開だった。

 1980年代に入ってから耳目を集めたのは、レフチェンコ事件だ。旧ソ連国家保安委員会(KGB)のスタニラフ・レフチェンコ少佐がメディアの東京特派員というニセの身分で政財界、マスコミ関係者と接触、日本の世論を母国に有利になるよう誘導する工作を展開した。1979(昭和54)年に米国に亡命、82(昭和57)年に米議会で証言したことから、その工作活動が明るみに出た。政界の実力者らの名があがり、産経新聞社の当時の編集幹部が辞職に追い込まれたりした。

 やはりメディア特派員を装い、日本国内で協力者を獲得しようとして1985(昭和60)年に、コンスタンチン・ピレオブラジェンスキーというKGBのエージェントが警視庁公安部に摘発された。その後米国に渡り、1990年代末にワシントン特派員だった筆者に接触してきたことがあった。『日本を愛したスパイ』という著作のある氏は、大好きな日本のメディアで活動したいと考えていたようだが、早々にお引き取り願った。

 ソ連、ロシアの駐在武官が日本の自衛隊員らに接触したケースは何年かに一度、摘発されているので、多くに人が記憶しているだろう。

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