2024年4月26日(金)

古都を感じる 奈良コレクション

2011年8月23日

胸まで砂に没した観音像を拝して泣く玄奘
(藤田美術館所蔵「玄奘三蔵絵」より)

 数ある仏跡のうち、玄奘がもっとも心を打たれたのは、お釈迦さまが悟りを開いた場所(ブッダガヤ)だった。高さ15㍍ほどの菩提樹の下、お釈迦さまがそこに坐して悟りを開いたという金剛座は、すでに砂に覆われて姿を隠していた。金剛座の南北には2体の観音菩薩像が安置され、この像が砂中に没する時には仏法は滅びると伝えられていたが、なんと南側の像は早くも胸のところまで没しているではないか。玄奘は五体を地に投げてむせび泣くばかりだった。

 このように、長い旅路の果てに玄奘が見たものは、衰えつつあるインドの仏教の姿だった。玄奘はきびしい危機感を抱いてナーランダーに着く。

 ナーランダーには戒賢(かいげん)という100歳を超えた老師が玄奘を待っていた。玄奘は戒賢から念願の『瑜伽師地論』をはじめとする多くの仏典を学んだ。

 奈良国立博物館は、2011年に開催した特別展「天竺へ~三蔵法師3万キロの旅」に併せ、7月23日に奈良県新公会堂で「玄奘三蔵フォーラム」を実施した。パネラーは薬師寺管主の山田法胤さん、俳優の滝田栄さん、そして私。3人は2時間半にわたって熱く語り合った。

玄奘三蔵像(薬師寺所蔵)
開催中の特別展「天竺へ~三蔵法師3万キロの旅」(奈良国立博物館)会場で。

 山田法胤さんは「マルコ・ポーロやコロンブスのように、欧米人の冒険は〈もの〉を求める。しかし玄奘は仏の教えという〈心〉を求めた。そこが違う」というお話をされた。

 滝田栄さんはミュージカル「レ・ミゼラブル」で、14年間、主役のジャン・バルジャンを演じた。そして舞台が終わった時、もう演じたい役がないと思ったそうだ。その2日後にインドへ旅立ったのはさまざまな思いがあったからであろうが、帰国後に薬師寺から創作伎楽(ぎがく)の玄奘役をもらい、震えるほどの喜びだったと語った。

 私は「玄奘をめぐる七つの物語」と題して話をした。そのひとつに「瓜州(かしゅう)での沈黙」がある。


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