使えない上司・使えない部下

2018年12月12日

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Q 桑田さんのPL学園時代の同期生(1983~86年)には、清原和博さんがいます。清原さんは、西武ライオンズや巨人で活躍をしました。ともに50歳を超えた今は、2人の人生の明暗がはっきりとしているように思います。

 清原さんが、巨人に移った後、スランプになった報道などを見聞きし、私は清原さんも私のところでメンタルトレーニングを受けたほうがいい、と思っていました。

 清原さんはPL学園の選手として甲子園に出場し、大活躍し、卒業後、西武ライオンズに入団します。巨人は、1985年のドラフト1位で桑田さんを指名しました。清原さんは巨人に入りたかったようですが、それが、かなわなかったのです。

 ここからは、私の分析の中の想像の話であることをあらかじめお伝えしておきます。清原さんは西武ライオンズに入り、実は正解だったのだと思います。このころの彼は、たしかに輝いていました。優秀な選手だったのです。

 当時、西武には秋山幸二さんがいました。清原さんは、秋山さんのことを先輩として敬意を払いながらも、野手として、バッターとしては尊敬していなかったのだろうと私はみています。もちろん、秋山さんの打撃センスなどを十分認めていたでしょう。清原さんのすばらしいことは、パリーグを代表する強打者・秋山さんをも尊敬しなかったことなのです。尊敬しない能力は、プロで生き抜くならば必ず身につけることです。

 プロの世界では「この選手はすごいな」と思った瞬間にだめになります。「すごい」と思ったら、脳がそのように反応します。その選手の5年先、10年先が決まってしまうのです。プロに入ること自体、すごいに決まっているのです。あえて、それを脳に思い込ませるべきではないのです。アマチュアは違いますよ。

 アマチュアはむしろ、大いに尊敬し、学ぶべきです。私のプロ選手のメンタルトレーニングでは、「今は抜けないけど、この選手には2年後にこのようにして追い抜かす」などと教え、自己暗示をかけるようにします。いつまでに、どのようにして勝つか、と脳に錯覚させる…。プロでは尊敬した瞬間にその選手以上にはなれないようになっているのです。清原さんがこのようなことを心得ていたのかどうかは、私はわかりません。ただ、清原さんは秋山さんよりも、自分のほうが上だと思っていた可能性は高いのではないかな、と思います。

 ところが、彼は巨人に移ってから、変わってしまったのです。「尊敬しない。人を認めない」という彼がはじめて認めたのです。当時の巨人の4番打者・松井秀喜さんのことを「この男はすごい」と思ったのではないでしょうか。その瞬間から、清原さんは平凡な選手になったのです。少なくとも、松井さんを抜かすことはできなくなりました。巨人時代の成績は、西武のころの輝かしいものにはなりませんでしたね。年齢的な衰えもあったのかもしれませんが、清原さんのすばらしい力をなくしてしまったことが大きな理由だと私は思います。あのころ、松井さんを認めるべきではなかったのです。

 松井さんは先輩の清原さんに敬意を払いながらも、「俺のほうがはるかに上」と思っていたのではないか、と思います。清原さんを相手にはしていなかったのではないでしょうか。だからこそ、巨人の4番を守り抜き、大リーグでも輝かしい実績を残したのだろう、と私はみています。

 清原さんは、プロ野球の選手として大成するためにしてはいけないことをしてしまったのです。西武のころのように、ほかの選手を認めない姿勢を守り抜くべきでした。そのために、脳の仕組みなどを覚え、脳をいわば錯覚させるべきでした。巨人のころに、そのような知識を獲得すべきだったのです。だから、私のところへきて、メンタルトレーニングを受けたほうがいいと考えていたのです。

 清原さんは、西武のころの調子を取り戻すことができずに、スランプとなりました。心理的に弱い面があることも、当時、報じられていましたね。その後、オリックスに移った後も大活躍することなく、引退しました。最近の報道を見聞きすると、惜しい気がします。

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