野嶋剛が読み解くアジア最新事情

2018年12月12日

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野嶋 剛 (のじま・つよし)

ジャーナリスト

1968年生れ。ジャーナリスト。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、シンガポール支局長や台北支局長として中国や台湾、アジア関連の報道に携わる。2016年4月からフリーに。著書に『イラク戦争従軍記』(朝日新聞社)、『ふたつの故宮博物院』(新潮選書)、『謎の名画・清明上河図』(勉誠出版)、『銀輪の巨人ジャイアント』(東洋経済新報社)、『ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち』(講談社)、『認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾』(明石書店)、『台湾とは何か』(ちくま新書)。訳書に『チャイニーズ・ライフ』(明石書店)。最新刊は『タイワニーズ 故郷喪失者の物語』(小学館)。公式HPは https://nojimatsuyoshi.com

明かされ始めた「華麗なる一族」の正体

 いずれにせよ、メキシコに行くためにカナダを経由地に選んだ時点で、孟晩舟の運命は決まっていたことになる。

 逮捕のなかで、孟晩舟が父親の任正非と姓が違うので、どのような関係にあるのだろうかと興味が湧いた。香港、台湾、中国、米国のメディアの報道を総合してみると、以下のような「華麗なる一族」が浮かび上がった。

 1972年生まれの孟晩舟は、任正非の前妻との間に生まれた子供であった。その前妻は孟軍という女性で、父親は元四川省副省長の孟東波という大物だった。「軍」という名前は革命第一世代が好んで子供につける名前で男性の場合が多いが、女性にもたまにある。つまり、孟晩舟は、革命第三世代、つまり「紅三代」ということになる。

 孟東波は江蘇省の出身だが、革命後は主に四川省を中心にキャリアを積んだ。孟軍も四川省生まれで、省都・成都で育ち、任正非と出会って結婚し、孟晩舟を授かったとされている。

 孟東波の四川省時代の上司は、四川省党トップを務めた楊超という人物で、革命元老級の「超」がつく大物である。延安に共産党が根拠地を置いた時代より前から共産党に参加し、周恩来の政治秘書も務めて、長寿だったので2007年まで生存している。

 任正非が深圳に来てファーウェイを立ち上げたのは、孟軍の関係もあったとも言われている。任正非は、孟軍との離婚前、孟東波や楊超のもとをしばしば訪れていたとされる。任正非は人民解放軍出身のバックグラウンドがよく強調されるが、急速な発展を遂げたファーウェイ成長物語の背には、この妻人脈によって国有企業からの大型発注を受けたことも大きいと言われる。一部報道では、任正非の女性関係の派手さに嫌気がさしての離婚だったと伝えられているが、公式には「理念が合わないための離婚」と紹介されている。

 そして、離婚した母の姓を名乗ったのが孟晩舟だった。孟晩舟にはもう一人、弟がいて、こちらは任平と父親の姓を名乗っている。現在、ファーウェイ傘下の企業で働いているとされるが、後継者になるような目立った動きはなく、むしろ後継者として近年急浮上していたのが孟晩舟その人だった。それは彼女が社内での努力で父親の信頼を勝ち得たことを意味しており、単なる親の七光りの出世ではないと見られる。ただ、今回、逮捕によって初めて世界は孟晩舟という人物を知ったといっても過言ではないだろう。

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