Washington Files

2018年12月17日

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斎藤 彰 (さいとう・あきら)

ジャーナリスト、元読売新聞アメリカ総局長

1966年早稲田大学卒業。68年米カリフォルニア州立大学バークレー校大学院修士課程修了、70年読売新聞入社。ワシントン常駐特派員を2度務めた後、アメリカ総局長、東京本社取締役調査研究本部長などを歴任。近著に『中国VSアメリカ』『アメリカはカムバックする!』(いずれもウェッジ)がある。

(iStock.com/flySnow/Purestock)

 サウジアラビアの著名ジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏(当時59歳)惨殺の衝撃的ニュースを耳にして45年前、東京都心で白昼発生した「金大中拉致事件」に思いをはせた日本人は少なくないだろう。だが、両者の間には決定的な違いがあった。金大中氏はアメリカの介入で死を免れたのに対し、カショギ氏の場合、迫る危険を米情報機関が予知していたにもかかわらず、未然に悲劇を防止できなかった点だ。

12月13日、米上院がサウジ皇太子非難の決議採択 し、イエメン内戦の軍事支援中止も可決したことを報告する民主党バーニー・サンダース上院議員

 去る10月2日、トルコ・イスタンブールのサウジアラビア領事館内で殺害されたカショギ氏は昨年、米国渡航以来、次期国王と目されるムハマンド・ビン・サルマン皇太子の弾圧政策をワシントン・ポスト紙でのコラムなどを通じ、厳しく批判する一方、国内反体制勢力への支援を呼びかけてきた。同氏の論評は中東諸国をはじめ多くの国のインテリ層にも広く読まれ、国際的影響力も大きかっただけに、同国政府にとっては目障りな存在であったことは間違いない。

 事件は以下のようなものだった。

 カショギ氏は同じサウジアラビア人の前妻との正式な離婚手続きと同時に、新たに交際を始めたトルコ人女性との結婚手続きのため、サウジアラビア政府側との接触が必要となったが、同国に再入国した場合、身柄拘束の危険があった。このため、安全を期してイスランブールのサウジ領事館を訪ねることにした。

 アメリカのNBCテレビ報道によると、カショギ氏はそれ以前に、駐米大使をしているサルマン皇太子の弟ハリド・ビン・サルマンとワシントンの同国大使館で会っており、大使の勧めでイスタンブール行きを決断したとみられている。

 さらにワシントン・ポスト紙によると、大使は直前に皇太子の指示でカショギ氏に電話を入れ、「離婚手続き書類をイスタンブール領事館で受け取るよう」指示した。

 10月2日、予定通りカショギ氏が領事館に入ったところ、そこには本国から急派された15人の「殺害チーム」が待ち伏せており、彼らの手によって扼殺された上、証拠隠滅のため遺体はバラバラに切断された(トルコ情報当局情報)。

 サウジ政府当局は当初、カショギ氏の領事館訪問の事実を認めたものの、殺害説を否定し続けていた。しかし、11月11日になって、国営放送を通じ(1)事件には全部で21人が関与した(2)サウジ検察局は11人を告発した(3)このうち犯行の指示と実行に当たった5人に対し死刑を求刑した(4)これらの“交渉チーム”はカショギ氏に本国への帰還を説得したが、交渉は失敗に終わった(5)その際、チーム・リーダ―はカショギ氏を釈放したとの虚偽の報告を前情報局副局長にしていたが、実際には彼の命令で殺害に及んだ(6)同氏の死体は切断され、地元の請負業者に引き渡された(7)サウジ法律顧問は、同事件に関わる被告人たちが政府の高度のランクにあり微妙な立場にあることを指摘している―などの点を公表した。

 これに対し、トルコ政府はサウジ検察が「サルマン皇太子の事件への関与はなかった」としたことなどを受け、「不十分な説明であり、真犯人を明らかにするための徹底捜査が必要だ」(チャプシュオール外相)と不満をあらわにしている。

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