WEDGE REPORT

2011年9月5日

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 ラムネ生産量のピークは1953年の約8万3000キロリットル。炭酸飲料の半分以上を占めており、メーカーも1000社を超えていた。だが、コーラ飲料や茶系飲料が普及するにつれ生産量は減少を続け、2003年には1万7000キロリットルにまで落ち込んだ。ラムネの製造メーカーも約60社に減少した。

 ただ、全国ラムネ協会によると、全国各地の地域色を打ち出した「地ラムネ」のブームや、「わさび味」や「カレー味」といった異色サイダーへの注目、海外輸出の増加、そして夏祭りなどのイベントで幅広い年齢層に飲まれるという底堅い需要があるため、生産量は08年に1万6000キロリットル、09年は1万5000キロリットル、10年も同様に1万5000キロリットルと減少に歯止めがかかっている。

 ガラスの瓶にガラス玉という遊び心が、日本の幅広い世代の心をとらえ、海外でも評価され始めている。

元祖の意地で
世界市場を再開拓

 渦巻き型の蚊取り線香を発明したのは日本人である。KINCHOでお馴染みの大日本除虫菊株式会社(大阪府・大阪市。以下、KINCHO)の創業者・上山英一郎氏が除虫菊を含む種子を1886年に入手し、蚊取り線香の試作を開始。1890年に世界初の棒状蚊取り線香を発売した。渦巻き型を着想したのは、英一郎氏の妻であるゆき氏で、1902年に商品化された。日本の蚊取り線香は海外での評価も高く、戦前のピーク時には80カ国に輸出されていた。

 戦後、各メーカーは国内向けに注力し、様々な家庭用殺虫剤を販売していたが、再度世界市場に目を向け始めた。

営業部隊が小規模小売店の「ワルン」をまわる

 フマキラーは独自の販売戦略で、インドネシアにおいて市場シェア1位を獲得するとともに、現地で生産した蚊取り線香を約70カ国に輸出している。

 同社がインドネシアに現地法人を設立したのは1990年。蚊取り線香のメーカーとしては後発で、当初は蚊取り線香も日本から輸出していた。だが、現地の蚊を調査したところ、日本と比べ薬剤に対して5倍の抵抗力を持っていることがわかった。そのため、インドネシア向けに、効力をアップさせた独自の処方にしている。また、香りについても、インドネシアはフローラル、インドではサンダルウット(香木)と国ごとに使い分けている。

 現地メーカーは資金力があるため宣伝に力を入れているが、同社は専用の営業部隊を、「ワルン」と呼ばれる地域の小さな雑貨店に派遣する戦略をとっている。ワルンでは、使いきりのシャンプーや、蚊取り線香のバラ売りをしているが、スペースの都合上、1商品は1社だけというケースが多い。そこで、営業マンが効力をアピールし、ワルンでの取り扱いを増やすことで、地域全体の認知度を上げる作戦をとったのだ。認知度が上がることで、ワルンが卸業者に対して同社製品を指名買いする効果を狙っている。

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