2024年4月19日(金)

トランプを読み解く

2018年12月22日

民主主義のメカニズムとトランプの帝王学

 民主主義にも悪の側面があるとすれば、それは、本来の国家単位の共同体利益が知らずに、多数の私利私欲(個益)の総和に取って代わられることだ。そもそも論になるが、国家という共同体の利益所在はいったいどこにあるのか、それは何なのか、時勢によってどのように変化しているのか。特にグローバルという「善」が当たり前のように語られる今日において、グローバル利益という空虚な概念は何を意味するか、それと実在する国益の関係はまたどのようなものか……。

「○層」が基底となる民主主義の下で、数で勝負するのがルールだ。実際には有権者の大多数は共同体である国益を思考できるような立場に置かれていないし、またそのような能力も欠けている。「哲学的ゾンビ」という言葉を想起する。デイヴィッド・チャーマーズによって提起された心の哲学における思考実験に由来する。物理的化学的電気的(外面的)反応としては、普通の人間と全く同じであるが、クオリア(感覚的・主観的な経験にもとづく独特の質感)をほとんど持っていない人間と定義される。「シープル大衆国民」の大量発生はある意味で、哲学的ゾンビの普遍化といえるかもしれない。

「一国の政治というものは、国民を映し出す鏡にすぎない。政治が国民のレベルより進みすぎている場合には、必ずや国民のレベルまでひきずり下ろされる。反対に、政治のほうが国民より遅れているなら、政治のレベルは徐々に上がっていくだろう。国がどんな法律や政治をもっているか、そこに国民の質が如実に反映されているさまは、見ていて面白いほどだ。これは水が低きにつくような、ごく自然のなりゆきなのだ。りっぱな国民にはりっぱな政治、無知で腐敗した国民には腐りはてた政治しかありえないのだ」

 サミュエル・スマイルズの「自助論」の1節である。レベルはつねに低いほうに合わされる。民主主義国家の劣化の本質に対する指摘である。

 一連の問いを突き詰めるところ、民主主義のあり方の実務的な再検討にほかならない。トランプ氏はこう考えていたかもしれない――。真の民主主義とは、万民が単に参加できる政治だけではない。万民という共同体の利益が真に保護される政治システムの形成と運営、そして最善の結果に対する担保でなければならない。

 トランプ氏の「帝王学」ではないだろうか。

「ずけずけ型」リーダーの全盛期

 選挙戦の進行とともに、日本国内の知識人や世論は概ねトランプ氏に批判的になった。氏は当選しないだろうという希望的観測も出始めた。ここまでくるといささか他力本願的なナイーブさを感じずにいられない。でも、それはアメリカ国民が決めることである。

 非理性や低知性。色々と非難されながらも、トランプ氏の健闘ぶりは何を物語っているか。いや、むしろ非理性と低知性(に見えるところ)が彼のブランド。ブルーチーズが臭いと批判するほうがおかしい。トランプ氏はずけずけとものを言う政治家として暴言も吐くし、煽動もする。だからなんだ。人気が出ているのではないか。

 高カロリーのジャンクフードをパクつきながら、特大ペットボトルのコーラをラッパ飲みするアメリカのブルーカラー労働者や失業者。日米安保や米国同盟関係の存在意義、アメリカの国益と世界秩序云々が彼たちにとって何の意味があるか。移民労働者を追い出せば、時給が1ドル上がるほうがよほど魅力ある話だ。

 格差時代の民主主義、マジョリティーとなる下層階級ないし貧困層がある意味で一種のリスクとなる。理性や知性に価値が置かれないポピュリズムから、ルサンチマン先導の政治が生まれる。トランプ氏だけではない。フィリピン大統領選で暴言を連発するドゥテルテ氏も好調でトップを走った。

「ずけずけ型」リーダーの全盛期だ。

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