佐藤忠男の映画人国記

2011年9月23日

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 名作「東京物語」(1953年)の老夫婦の長男の妻をはじめ、小津安二郎の多くの作品で、いつもひかえめな態度だが、しっかりして品のいい中年の主婦を演じていたのが埼玉県南埼玉郡岩槻町(現さいたま市)出身の三宅邦子(1916~92年)である。生家は船又という鰻料理屋だった。1934年から松竹映画に出てスターになり、主役の代表作には「ママの縁談」(1937年)がある。かしこくてまじめで笑顔の美しい、模範的な女性像を日本映画にたくさん残してくれた素敵な女優だった。

 やはり古い人でユニークな存在だったのが入間郡小手指村(現所沢市)の左卜全(ひだりぼくぜん・1894~1971年)である。10歳から奉公の経験があり、のちオペラの合唱から芝居の世界に入ってコメディアンになった。映画では黒澤明に珍重され、深刻な場面のなかでひとりだけ間のズレたおかしな演技をしているのが全体の芝居を一本調子の固さから救って奥行きのある面白いものにするという重要な役割を果たしていたものだ。

 現役では人気実力ともにトップクラスの男優が何人もいる。春日部市出身の草彅剛はSMAPのメンバーとしてテレビのバラエティ番組などを器用にこなして人気を確保しながら、韓国語を勉強して全篇韓国語の日本映画に主演するというような野心的な離れ業を見せるなど、たんげいすべからざる才能とヤル気を示している。「BALLAD 名もなき恋のうた」(2009年)や「僕と妻の1778の物語」(2011年)がある。

 樋川市出身の本木雅弘も“シブがき隊”で人気者になったあと正統的な演技派の二枚目へと着実に成長した。「スパイ・ゾルゲ」(2003年)など難しい役をよくやったと思う。2008年に自分で企画し主演した「おくりびと」は、アメリカのアカデミー外国語映画賞を射止める大手柄となった。

 成長といえば“寅さん”シリーズの寅さんの甥として幼い頃から青春期までをえんえんと演じてきた吉岡秀隆は、寅さん亡きあと大人になり、さあどういう俳優として自立するかと思われたが、「ALWAYS 三丁目の夕日」(2005年)、また「博士の愛した数式」(2006年)では愛嬌もあってシリアスな芝居のやれるいい役者になっている。

 反町隆史はさいたま市生まれ。モデルから俳優になり、「男たちの大和/YAMATO」(2005年)の大和乗組員が印象的だった。

 竹内結子もさいたま市生まれである。「サイドカーに犬」(2007年)が良かった。

 夏木マリもさいたま市出身。歌手から女優になり、色気があって威勢のいい中年女の役どころで印象的な役が多い。「男はつらいよ」シリーズでは、後藤久美子の母親役で5回出演している。

 萩原健一は与野市(現さいたま市)生まれ。歌手から俳優になる。神代(くましろ)辰巳監督の「青春の蹉跌」(1974年)の主人公の、何気ない日常的なニヒリズムの表現にはアッと驚いたものだった。「居酒屋ゆうれい」(1994年)の無愛想な居酒屋のおやじぶりなども真似手のない個性的な演技である。

 藤原竜也は秩父市出身。「バトル・ロワイヤル」(2000年)、「デスノート」(2006年)など、すごいアクションの多い作品で注目される。

 村田雄浩は越谷市出身。むかしは怖い役が多かったというが、ちょっと臆病そうな善人がムキになって行動するというような役で演技開眼、「ミンボーの女」(1992年)、「おこげ」(1992年)で多くの賞を得た。

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