“熱視線”ラグビーW杯2019の楽しみ方

2018年12月27日

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夏季オリンピック、FIFAワールドカップに次ぐ世界の3大スポーツイベントに挙げられる『ラグビーワールドカップ2019™日本大会』が来年2019年9月20日開幕する。伝統国を離れ、日本でもアジア地域でも初開催となるラグビーワールドカップが一部のファンに留まることなく、一人でも多くの読者に興味を抱いていただけるようラグビーの魅力を伝えていきたいと考えている。

 今回は1987年第1回W杯に日本代表キャプテンとして臨んだ林敏之さんにお話を聞きました。

 林さんは『壊し屋』という物騒な異名を持つ一方、グラウンドを離れれば『ダイマル』と呼ばれ武骨で大らかな人柄が愛されました。

 日本代表を13年間務め、神戸製鋼の日本選手権7連覇に貢献。英国オックスフォード大学留学時にはケンブリッジ大との伝統の定期戦バーシティマッチに出場し、ブルーの称号を獲得。さらにオックスフォード大学歴代ベスト15にもイギリス出身者以外で唯一選出されるなど選手時代は数々の栄光に彩られています。

神戸製鋼時代の林敏之さん(写真:築田純/アフロスポーツ)

一戦一戦必死に戦う気持ち以外、特別な準備がなかった

 サッカーに遅れること約半世紀。1987年に第1回ラグビーW杯がニュージーランド・オーストラリアの共同開催で行われた。参加16カ国はすべて招待。伝統に培われたラグビー文化に新時代が荒波のように押し寄せ日本丸もその中に漕ぎ出していった。

――それまでの対抗戦、定期戦という文化から各国代表が一堂に会して頂点を決めるようなワールドカップという大会ができました。その大きな潮流の過渡期に林さんは、キャプテンとしてジャパンを率いられたのですが、その当時はワールドカップというものをどのように捉えていたのでしょうか。

林敏之さん(撮影:筆者)

林:当時の我々にはワールドカップがどういうものかイメージできていなかったし、本当に短期間で世界一を決めることなんてできるのだろうかって気持ちでした。

 それまで僕らが経験してきた海外遠征は、まず地区代表などいくつかの試合を経て、最終戦でテストマッチ(国代表同士の試合)を迎えるというものです。それがワールドカップでは初戦からすべてテストマッチですから、どんな準備をして臨むべきか、短期間の大会でどんな戦い方をすればいいのか、誰も想像ができていませんでした。

 それに予選がなく推薦出場だったこともあって、一戦一戦必死に戦うという以外、特別な対策もなかったように記憶しています。

――では、大会に向けた準備はどのように行われたのでしょうか。

林:当時はアマチュアだから事前の合宿だって長い期間なんてできません。強化合宿という名目で山梨県に1週間ほど集まって合わせただけ。それに宿舎からグラウンドまで5kmくらいあって歩いたり、走ったりしながら移動しました。とても練習環境が整っているとは言えないような中で準備をしました。

 それにワールドカップに出場するといってもバックアップメンバー含め選手は26人、スタッフは団長、監督含め4名の総勢30人という日本代表団でした。今ではとても考えられないような布陣ですが、それが当時の日本代表です。

 2015年ワールドカップの日本選手団は選手とスタッフで総勢50人態勢と聞いております。スタッフの数がぜんぜん違う。そのうえ年間160日間も合宿をして準備をしましたが、僕らの頃には考えられない体制です。時代は変わりました。

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