日本を味わう!駅弁風土記

2011年9月29日

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福岡健一 (ふくおか・けんいち)

ウェブサイト「駅弁資料館」館長

日本全国と海外の駅弁を紹介するウェブサイト「駅弁資料館」館長。2001年からこれを個人で運営、無予約非取材を原則に全国各地をめぐり、年間約400個の駅弁を食べる。「時刻表博士」でもある。

東洋一の銅山は公害の歴史と山々への傷跡を残して閉山、
足尾は日光市の一部となり産業都市から観光地への転換を図る。
銅山を支えた国鉄線も地元の第3セクター鉄道へ転換されて約20年、
地域と観光の鉄道へ再生すべく駅弁もその一翼を担う。

 関東地方の北部山沿いに「わたらせ渓谷鐵道」という鉄道会社がある。群馬県の桐生駅と栃木県の間藤駅間44.1kmを、その名のとおり渡良瀬川の渓谷沿いに、各駅停車のディーゼルカーが約1時間20分で結ぶ、第3セクターの鉄道会社である。

 わたらせ渓谷鐵道は1989(平成元)年に、旧国鉄の赤字路線を引き継いで生まれた。この路線には、国鉄の当時は「足尾線」という名前が付いていた。あの公害で知られる足尾である。こう書くと、公害というイメージの払拭に努力されている地元の方々に怒られるかもしれない。しかし、公害問題の原点として教科書に掲載され続ける限り、日本国内で教育を受ける多くの者にとって、初めて足尾の地名と接する機会は公害となる。

 足尾銅山は東洋一の銅山として明治日本の殖産興業を支え、渓谷に人口4万人もの工業都市を生んだ。一方で精錬所の排煙は山を裸にし、有害な廃水は渡良瀬川を死の川にした。銅山は1973(昭和48)年に閉山し、人口は大きく減少して5千人を割った。

 昭和が終わり、今は21世紀。銅山の貨物輸送を支えた鉄道は経営主体と路線の名を変え、山には人々の努力により緑が戻りつつある。渡良瀬川の清流は緑をたたえ、栃木県上都賀郡足尾町は(いわゆる)平成の大合併により細尾峠の向こうの日光市へ吸収された。銅山の廃坑には観光ルートが整備され、鉄道にも観光列車が登場し、人口が3千人にまで減少した21世紀の足尾は、産業遺産と観光の街へと舵を切っている。

駅構内に特急車両のレストランを設置

 わたらせ渓谷鐵道も1996(平成8)年には、神戸(ごうど)駅の構内に東武鉄道で使われなくなった特急車両を据え、レストランを開設した。

特急車両をレストラン店舗に 神戸駅

 さらに1998(平成10)年には観光トロッコ列車「わたらせトロッコ渓谷号」が登場、春から秋まで土休日を中心に運行されるこの列車は、紅葉のシーズンになると予約が取りにくいほどの人気列車に成長している。

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