WEDGE REPORT

2019年2月6日

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矢沢彰悟 (やざわ・しょうご)

大学卒業後、スポーツカメラマンやライターとして活動するも、学生時代から携わっていたサッカーの指導者としての道を本気で志すため2015年、スペインのバルセロナに。現地の監督養成学校にて監督ライセンスを取得し、現地の少年から大人までの監督、 コーチを歴任する。 現在スペイン監督最高ライセンス取得のためのコースに在学中。

スポーツの語源は遊び、気晴らし、休養

 一般的に、日本人はスペイン人よりも忍耐強い傾向がある。それもあってか、日本ではスポーツで苦しいことに耐えて努力することで、理想とする自分の姿に近づくということに美徳を感じることが多いように思う。

 「自分を追い込む」という言葉が日本のスポーツ界では当たり前に使われるが、今思えば 独特な表現だ。人よりも何かできないこと、劣っていることを完璧に消すという価値観もそこに通ずる部分がある。だが少なくともスペインではこのような類の言葉を聞いたことはない。

 確かに何か目標があるとき、そこにたどり着くためには最低限の能力が必須となる。それを獲得するための努力も必要だろう。その努力の過程の中には、弱点克服や本来やりたくないこと、苦しいことも含まれるかもしれない。

 だが本来スポーツという言葉の語源はラテン語の「deportare(デポルターレ)」。遊びや気晴らし、楽しみ、休養を意味する。そのスポーツに忍耐という言葉はどうしてもしっくりこない。ましてやプロでもない育成年代でそれを求めるのは本質から離れている気がする。

 あるできなかったことができるようになった。では次はこれを向上させなければならない、そのまた次はこれ…その無限ループに嵌ること、つまり弱点やできないことをできるようにすることが練習目的の全てとなるなら、むしろそれは気晴らしでもなんでもなく、“義務”という名のある種のストレスにすらなりうる可能性もある。

 昔スポーツライターの金子達仁氏があるテレビ番組内でこのようなことを言っていたのを覚えている。

「仮にメッシ(FCバルセロナ所属)があの能力を持って日本で生まれてサッカーをやっていたら、おそらく苦手なヘディングをどうにかしろと言われながら育って、サッカーが嫌いになって辞めちゃってたと思う」

 ちなみに昨年私が受け持ったU16のチームでは、友達と遊びたい盛りの年頃の選手たちにも関わらず、例えば天候等の理由で練習を中止にすると連絡をすると、練習できないことに対して選手たちから毎回大ブーイングを食らったものだ。その姿勢にはスポーツという言葉の本来の意味が滲み出ているようにも思う。

 だからだろうか、スペインでは練習中の雰囲気にあまり切迫感のようなものを感じない。言っておくが、全力で練習に取り組む姿自体は日本もスペインも同じだ。だがここでは「完璧にできるようになるまでやる」というような“やらなければならない”感覚より、“やりたいからやっている”感覚が近い。

 やりたいことだからこそ前向きに全力で取り組むことができる。仮にどうしてもうまくいかないならば他のプレー方法を探してまた練習すればいい、というスタンスがその背景にはある。

 人間誰しもが不可能なことはある、完璧など存在しない。頭ではわかっていても、自らの不可能を認めるのは簡単なようで難しい。

 もちろん簡単に諦めたり、やればできることを無責任に放棄したりするのは好ましいこととは言えない。私の先輩が教えてくれた「できなかったことをできるようにすること、わからなかったことをわかるようにすること」への姿勢を完全に失うのは、自らの成長機会を奪うことにもなる。だから基本的には必要だ。だができないことや弱点ばかりに目を向けて気づかないうちにストレスになるより、自分の長所に目を向け、無理なことは無理と受け入れて誰かに補ってもらう姿勢も、スポーツ本来の姿に近づくためには一考の余地ありではないだろうか。

  
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