立花聡の「世界ビジネス見聞録」

2019年2月11日

»著者プロフィール
著者
閉じる

立花 聡 (たちばな・さとし)

エリス・コンサルティング代表・法学博士

1964年生まれ。早稲田大学理工学部卒。LIXIL(当時トステム)東京本社勤務を経て、英ロイター通信社に入社。1994年から6年間、ロイター中国・東アジア日系市場統括マネージャーとして、上海と香港に駐在。2000年ロイター退職後、エリス・コンサルティングを創設、代表兼首席コンサルタントを務め、現在に至る。法学博士、経営学修士(MBA)。早稲田大学トランスナショナルHRM研究所招聘研究員。

 

他人事なのに、一般市民はなぜ熱くなるのか?

 事実は1つしかない。正確にいうと、真の事実は1つしかない。法律上の事実とは別物で、分かりやすくいえば、法律のルールに基づいて、裁判官が認める客観的証拠によって証明された事実である。要するに証拠がすべてだ。どんなに合理的な推論であっても、客観的証拠には勝てない。

 言いかえれば、クロを証明する証拠がなければ、すなわちシロである。この冷徹なルールは世間一般になかなか理解されない。というのは、一般の人々はその人生体験や固定概念、善悪を判断する普遍的倫理観・価値観を持ちあわせているからである。これらの要素はしばしば熱血的で、冷徹なルールを排斥するものである。

 一般の人々は熱血的なものをもっていると、中立的な第三者になり得ず、英語で「Pick a side」というが、第一者側か第二者側か、どちら側に付くかを選択することになる。とはいっても、本件は他人事であることに変わりない。こうした「疑似第三者」は、なぜ、無関係の他人であるはずのA選手を擁護し、監督らを非難することで興奮し、熱くなるのか。この問題に触れておきたい。

「感情移入」「自己投影」の結果ではないかと私は思う。

 仮説として、もし、私、あるいは、あなたが日大のアメフト部員の1人だったら、監督から仮に反則のタックル行為を指示・命令された場合、きっぱりとそれを拒否できるのか、と主体を置き換えて自問したい。

 上司や会社の指示、その内容の如何を問わず、部下として忠実に行動に移し遂行する。これを美徳とする一方、指示された内容の不正義で服従の美徳を捨てられるかという問いである。

 2018年5月29日、日大アメフト部の部員たちは声明文を発表した。そのなかに、こんな一節がある。

「これまで、私たちは、監督やコーチに頼りきりになり、その指示に盲目的に従ってきてしまいました。それがチームの勝利のために必要なことと深く考えることもなく信じきっていました」

 ここ数年、日本企業の不祥事が続出している。その多くは、思考停止、権威に盲従することに起因している。本質的には日大アメフト事件と病巣を共有している。指示命令への絶対服従、ないし上意への忖度は、組織の構成員の存続条件や個人利益と化している。日大アメフト部員だけでなく、多くの一般会社員も同じ組織構造のなかに置かれている。

 自らの倫理観や価値観に照らして、これらに反する行動を不本意ながらもやってしまっている人、あるいは深く考えず本能的にやってしまっている人、このような人々はこの事件から、無意識的に、我が身と我が身を取り巻く組織環境を想起し、事件の当事者に自己投影し、感情移入してしまうのである。三人称(他称)の一人称(自称)化現象と言っても差支えない。

 しかしながら一方、このような組織や共同体を作り上げたのもまた日本人自身である。組織に守られるというもう1つの側面からいえば、構成員はその受益者でもある。二項対立の下で苦悩と葛藤を抱えながら、積み上げる欝憤を晴らすには、ソーシャルメディアほど都合のよい捌け口はほかにない。

 組織が抱える構造的諸問題は、個別構成員の力によっては到底解決できない。そこで、法や正義に希望を託す。しかし、最終的に期待を裏切られ、悲劇的な結末を見せつけられた。

連載:立花聡の「世界ビジネス見聞録」

  
▲「WEDGE Infinity」の新着記事などをお届けしています。

関連記事

新着記事

»もっと見る