2024年4月20日(土)

野嶋剛が読み解くアジア最新事情

2019年2月12日

名画がたどった「数奇な運命」

 芸術の価値と同様に、大変興味深いのがこの絵の数奇な運命だ。論文『黄山谷跋、李公麟筆「五馬図巻」の伝来について : 北宋士大夫間における享受から清朝内府流出と日本流入まで』(高野絵莉香、史観2014.9)によると、乾隆帝以来、清王朝の収蔵となっていた「五馬図巻」だが、辛亥革命後、末代皇帝の溥儀から弟の溥傑に下賜されて売却され、日本に流出したと推察されている。

 日本では、明治の実業家で東武鉄道創設に関わった末延道成(1855-1932)の手に渡ったことがわかっている。中国メディアの報道などでは、その後、京都大学法学部の某教授に所有が移っていたが、戦時中に焼失したと報告されていたという。貴重な美術品が戦時中に失われたと偽って報告されたケースは珍しくない。この五馬図巻も、それ以来すっかり姿を消してしまい、「紛失」ということで数年前までは信じられていた。一方でいろいろな憶測もあり、日本から台湾の蒋介石の妻・宋美齢の手に渡ったという伝聞もあった。

謎に包まれた「入手経路」

 カタログによれば、この絵は東京国立博物館の収蔵品とされている。北宋時代の著名な人物による真作で、絵のクオリティも高い。名家の跋文もついている。保存状態も良好だ。国宝や重要文化財に指定されていてもおかしくない。東博の広報に、この絵の入手経緯を尋ねたところ、こんな回答が返ってきた。

「五馬図巻は古くから国内外の学者が真跡と認められていて、重要美術品としても指定されています。平成29年度(2017年度)に当館に寄贈されました」

展示会カタログの「五馬図巻」(写真:筆者提供)

 寄贈の場合、元の所有者の同意がなければ、博物館は詳しい情報を明らかにしない。もしオークションなどで購入していたら億単位の価格になっただろう。東博は運がいい。

 ここでいう「重要美術品」とは、戦前の法律に基づくカテゴリーで、戦後は国宝や重要文化財というカテゴリーに変わっている。戦前指定の重要美術品に対する保護の効力は戦後も継承されるが、必要に応じて、国宝・重文にも格上げされる。五馬図巻は明らかに国宝・重文クラスだが、格上げがされていないということは、個人収蔵家が目立たないよう密かに保管していたことを意味すると思える。

 これは日本では初公開なのかどうか、この点について、東博は「1928年に東京府美術館で展示されていたようです」と回答した。つまり、日本ではなんと90年ぶり、いま生存中の日本人は、ほぼ全員が初見ということだ。


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