オモロイ社長、オモロイ会社

2019年3月7日

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杉浦佳浩 (すぎうら・よしひろ)

代表世話人株式会社代表

三洋証券株式会社入社(昭和62年)。鹿児島支店にて勤務。地元中小企業、個人富裕層の開拓を実施。 日経平均最高値の2カ月前に退職。次に日本一給与が高いと噂の某電機メーカーに転職。埼玉県浦和にて、大手自動車メーカー、菓子メーカー、 部品メーカー等の主力工場を担当。 退職時は、職場全員から胴上げ。そして、某保険会社に20数年勤務後、平成26年末に退社。在社中は、営業職、マネジメント職を経験して、リテール営業推進、若手人財育成を中心に担当していた。 社外の活動も活発に行っていた。平成27年1月1日、代表世話人株式会社を設立。
同社代表取締役に就任。世話人業をスタート。

売上は右肩上がり、借金も右肩上がり「倒産の危機」
そのピンチの中での人財確保と新規事業の大ヒット

 事業の拡大という意味では成長しているものの、カードローンでのやりくりが続くジレンマ、その苦しい環境下で起こったのが、取引先の倒産。万事休すという状況で、その取引先の社員(メカ系エンジニア)二人が無給で仕事を手伝ってくれることにそこから倒産ショックを回避してまた事業継続へ。

 結果この二人が現在鳴海さんを支える右腕・左腕の存在として活躍しているそうです。ただ経営環境は好転せず、新規事業を踏み出すことに。2008年7月7日に新会社設立、インターネットを活用して海外向けに車の輸出事業を開始、国内中古車で10万円程度の車が前金制で200万円程度で販売、あっという間に100台ほど販売でき順調な滑り出しで利益体質へ。しかし順調な滑り出しも束の間、新会社設立から2カ月で、さらなる大ピンチであるリーマンショックが発生、輸出は絶望的に。

中国で起業の道へ

 度重なるピンチにもめげずに、貿易は輸出だけではない、輸入に勝機があるはず!ということで、海外に出かけて行く中で、中国に通い始めることに。翌年の2009年には自動車部品の輸入販売をスタートこちらが順調に稼働し始め、その翌年には中国で日本法人100%出資の現地法人を設立し、6名体制で中国国内の提携工場を開拓、展開を加速していきました。

 どうして、大手企業でも困難を極める中国でのビジネスがスムーズにスタートし、優秀な中国人を採用できたかのでしょうか。 

 それは中国の大学の日本語学部に潜り込み、そこで学ぶ中国人学生に「勧誘」活動を行ったそうです。そこで日本の事が好きな「仲間」を発掘し短期間で社員化に成功事業も順調に成長できることになりました。

メーカーへの構想
自分が欲しいものは売れる、それを作れば売れるという発想

 これほど起業から度重なるピンチがあったものの乗り越えていった鳴海さん。自分が欲しいものは、周りの人達にも欲しい人がいる、間違いなく買ってくれるはず、と考えたそうです。

 そこから「国内貿易→情報格差」、「海外との貿易、輸出入」と展開していきましたが、事業としての展開は華々しいものの経営の本質を学びたいと、2011年に経営者塾に通うようになり、企業としての、在り方、理念・社是、100年ビジョン、社会性、独自性、経済性を徹底的に学び、2012年に理念、ビジョンを社内全員に発表したそうです。

ビジョン策定からメーカー構想へ

 経営理念として「驚き・感動・笑顔」をベースに、社員と家族・お客様と社会に貢献し続ける企業を目指す。そして、乗り物を通じて、世界中の人々に、驚きと感動と笑顔をお届けする、を社是としました。さらに、日本を代表する次世代乗り物メーカーになる、という100年ビジョンを掲げたのです。

 これを社員に共有して、全員からワクワクするような意見が多重層で飛び交うことになりました。そこから、ビジョンの実現、仲間を増やす、和歌山から挑戦していきたいと意志統一に繋がったそうです。その先に社内コンペ自分達の目指す世界観を造語で表現、それがglafitの誕生へとつながりました。

 glad+fitを掛け合わせたもので、自分自身の内面から湧き出る「ワクワク感」、「シアワセ感」をgladで、人にも、モノにも、シーンにも、場所にも「ちょうど良い」という意味で、fitで表現、ここからglafitがスタートしました。

 鳴海さん達がメーカーとなっていくために、お手本・参考としたのが「HONDA」でした。何もないところから自転車、バイク、四輪へそしてジェット機へ…。「驚き・感動・笑顔」を100年企業に向けて加速をさせていく1年にもっていくと鳴海さんはアツく語ります。今後も鳴海さんの欲しいモノを「売る」、「創る(作る)」スタンスに注目したいと思います。

  
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