「一子相伝」をやめた意外な理由
公共交通機関でたどり着くのは難しく、車で行くのが一番スムーズ。この日は曇りで小雨だったが、自然豊かな高山では、なんだか小雨もまた心地よく感じられた。
こんにちは〜。とお邪魔すると、民家に通していただいた。とても感じの良い優しそうなご夫妻がお出迎えしてくださり、お茶を出してくださった。いきなり体験が始まるのかと思いきや、丁寧に茶筅についてのお話を始めてくださった。
なんとこの高山茶筅だけで、国産茶筅100%の生産を誇るというから驚いた。300人ほどの職人さんが今も茶筅作りをしているそう。元々は一子相伝で作り方も秘密だったのだが、国からの要請で1970年の大阪万博に出て実演することになり、少しずつ一般の人々も作り方を知れるように。また昭和の花嫁修行の一大茶道ブームで、茶筅需要が爆発的に伸び、一子相伝では生産が追いつかず、産地として茶筅作りを支えていくようになったそうだ。