WEDGE REPORT

2019年6月1日

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 経済ジャーナリスト磯山友幸氏による、月刊Wedge連載「地域再生のキーワード」では丸4年全国48カ所をめぐってきた。このほど、連載のなかで登場していただいた方々を中心に集合していただき、「未来を創る財団」(國松孝次会長)主催で「地域おこし人(じん)サミット」を開催した。ここでは、それぞれのキーマンのプレゼンを紹介していく。

 今回のテーマは「コミュニティ再生のアイデアBOX」。コミュニティの崩壊が指摘される中で、どうやったらその再生をしていけるのか。各地で努力をされている方々に語っていただいた(コーディネーター:磯山友幸氏)。

(ksana-gribakina/Gettyimages)

水力発電でまちおこし

平野 私は岐阜市の出身で、18歳から32歳まで東京で暮らしていました。大学の専攻は、都市計画や町づくり、建築で、卒業後は、商業施設をプロデュースする会社や外資系の経営コンサルティングの会社に勤めておりました。ただ、学生の頃からずっと町づくり、できれば地方のことがやりたいと。一つの地域にじっくり取り組みたいと思っていたんです。ただ、なかなか踏ん切りがつかなくて、東京にいながら岐阜の町づくりNPOで活動し始めたのが20代のときです。その後、32歳のときに、岐阜県の石徹白(いとしろ)に出会って移住することになります。

平野氏(写真・生津勝隆)

 NPOの活動を始めて岐阜に通うようになり、このあたりの人口がどんどん減っているという状況をちょうど目の当たりにして、なぜ人が減ってしまったんだろうということをいろいろと考えていたんですね。仲間と一緒に、いろいろ持続可能な地域をつくるためにどうしていこうかという話をディスカッションしていました。

 こういった地域は水もあれば、木もあれば、エネルギーの元となるものがあるので、外貨を稼ぐというのも当然あるわけですけれども、出ていくお金を取り戻すということをやっていったら、その地域にとってもう一度農山村が復活するきっかけになるのではないかということを考えました。

 なるべく地域のものを地域で回していくことによって外に流れていくお金を止めて、地域自体も復活するし、持続可能な社会を地球全体でつくっていこうというのはとても大きな話になるわけですけれども、それを地域ごとでやっていくということがすごく大事だと思いました。

 郡上(ぐじょう)だったら小さい水力発電をやりましょうと働き掛けて、今から11年前の夏に郡上の集落を何カ所か回ったんです。そのときに一番奥の集落の石徹白で出会った人たちが、実はそういうことをやりたいと思っていた、ぜひ一緒にやろう、ということを言ってくださいました。2007年の夏から半年、岐阜の仲間たちと共にここの集落に通って、私も東京から休みの間通って、半年間で3つの小さな水力発電を設置して、それがきっかけとなって、ここの集落に住もうということになりました。

 縄文時代から続いた集落がここ50年の社会変化でなくなってしまうのは、あまりに惜しいことだなと思って、地域の人たちも何とかしたいということがあったので水力発電を始めました。

 ところが、当時の地元の人たちの反応は、「水力発電なんて自分とは関係ない」と言う方が大半だったり、一部の人たちがやっているだけだ、という声が聞こえてきたわけです。実はこのとき私はまだこの集落に住んでいなくて、通いながら住む家を探していた状況だったんです。確かに協力してくれる人はいるけど、地元の人たちにこういうふうに言われているという話を聞いて、このままではやっていてもしょうがないんじゃないかということを思うようになりました。

 よくよく考えてみると、持続可能な社会をつくるとうたっても、地域の人たちにはエコとかエネルギーとかということはそれほど響かないわけですね。都会の言葉を持ち込んでも全然通じないんだなということがわかってきて、では地元の人たちがどういうことに関心があって、どういうことに寄り添っていけばいいかということを考えるようになりました。

 そうしたら、地元の若い人たちで、ホームページをつくりたいという話や地元の女性たちでカフェをやりたいという話があって、それらのお手伝いをしたり、農産物加工の加工場を何とか復活させたい、ということで、10年ずっと休眠していたんですけど、それを復活させるということをやってまいりました。

自分たちで村をつくるのは当たり前だった

 そうしたら、だんだんその水力発電がメディアに出るようになって、多くの人たちが来てくださるようになりました。どの活動もみんなで楽しくできることから、ということで、本当に小さなものでもまずやってみるということをやろうということから始めました。そうすると、お客さんが来たりとか、例えばカフェも月に3日しかやっていなかったのが、だんだん回数が増えていったり、それでお金が余ってきたので少し投資をしたりということが出てきて、水力発電のお客さんが来られて、カフェでお昼を食べて、発電の電気でできた特産品を買ってくださるというような循環ができてきました。

 その頃から水力発電を見に来たことがきっかけで移住する人が少しずつ出てきて、ここは顔の見える環境で子育てができるので、子育てにすごくいいところだし、だけど仕事はないから、仕事をつくる人を迎え入れようということで、「私は子育て、あなたはチャレンジ」というコンセプトで移住の呼び掛けなどをしておりました。

 そうしましたところ、この10年間で子育て世帯が移住して14世帯、43人が増加するという形になりました。今や集落の15%が移住の世帯という形になっています。

 移住者が増えて地域が盛り上がってきて、いい感じですね、という話を地域の人たちとしていたところ、いや、そんなことないんだ、みたいなことを言われました。僕は、自分が関わるようになって、ここは10年ぐらいで地域が盛り上がってきたというふうに思っていたわけですけれども、「地域づくりなんて今になって始まったことじゃないんだ」と言われたんです。「地域のことをやるというのは元々当たり前のことだったんだ」、「自分たちで暮らしをつくったり、自分たちで村をつくるというのは当たり前のことで、それを最近やらなくなっただけなんだ」ということをおっしゃいました。

 実は昭和30年までは水力発電所がありまして、大正13年に石徹白電気利用組合というのを地域でつくって、当時組合人175名で発電所をつくったんですね。1924年から昭和30年まで実はずっと完全にエネルギーを賄っていました。

 今考えると、これはすごいなと思って、当時インターネットもなければ重機もなかった時代に、どこからか発電機を仕入れて、しかも全世帯に電線を引いて、それを運営していたということで、自分たちがあの小さな発電で苦労しているのは何だったんだ、という感じですよね(笑)。それだけ昔の人たちは自分たちの集落を守っていくとか維持をしていくためにずっと努力をしてきたわけです。

 よくよく考えてみれば、積雪2メートル以上あるような地域で縄文時代から人が暮らしているのは、高度成長期以前、ここで暮らすのが楽だったはずがなくて、昔はもっともっと大変な環境で暮らしていたはずで、それでもずっと人は続いてきたわけです。それが昭和30年以降に便利になって、よりお金が必要になって、もっと町に出たほうがいいということでどんどん出てしまったわけですが、そうすると、地域の将来のために何かをするということがなくなったしまったというわけです。それをもう一回、みんなで地域の将来、次の世代のためにやるということをやらなければ駄目だ、ということを地域の人たちが話すようになってきました。

 ちょうど山奥から3キロ引いてきた農業用水がありまして、これも明治時代に引かれたものです。元々は、ここの集落は田んぼができなくて、ヒエとかアワとか焼き畑で穀物を取るというのが江戸時代だったんですが、その水路を明治時代の人がつくってくれて、その水路をずっと維持していることで田んぼができて、ということがあり、そこの土地に落差があるということで発電所をやろうということになりました。

 ちょうど2014年に集落100世帯全員が出資をして、新しく農業協同組合をつくって、それでイタリア製の水車を輸入して、据え付けの工事も地元の人たちがやるという形で、2016年の6月に住民設置の発電所が稼働を開始しました。今、この売電の利益を使って、新しく集落営農なども始めています。

 結局やっていることは、もう一度、失われていた自治とか忘れていた自治を呼び起こすという活動をしているのだなというふうに思っております。地域には元々自分たちの地域のことをやるという自治の力があって、それをたまたまこの50年忘れてしまっているだけだということがありまして、もう一度自分たちの過去を振り返りながら、将来に向かっていくということをやっているというのが我々の取り組みです。

磯山 現場で事業としてきっちりやっていらっしゃるというのは非常に説得力があると思いました。

 今度はがらりと変わりまして、広島の玖波公民館。実はこの公民館は、日本一の公民館になりました。「地域ジン」という、皆さんでおそろいのTシャツを着て一生懸命やっていらっしゃる地域の河内ひとみさんにお話をお願いしたいと思います。

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