この熱き人々

2019年4月25日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 「毎日同じような仕事で、残業も多い。ディアボロは触るくらいで練習もできないから、技術も停滞したまま。帰ると疲れて眠るだけの生活で、本当にこれでいいのかなって考え、自分が本当にやりたいことって何だったんだろうって思った」

 悩んだ末に、大道芸のプロになりたいという本当の望みが見えてきた。しかし、安定した収入が保証される生活から、正反対の不安定な生活へ。先行きの予想は全くつかない五里霧中の人生への大転換である。

 会社を辞めて大道芸で生きると意を決して父親に話したら、反対されることはなかったという。ただひと言「自分のことは自分でちゃんとやれ」。反対されれば、反対を押し切るという反発をバネに突き進めるが、自分の人生を好きに生きろと言われれば、自分の内にこの先を生きる原動力を求めるしかない。

 

 「今やらなければ、あの時に決断しておけばよかったと、この先きっと後悔すると思った。それならやったほうがいい。プロになったらどんなことができるのかを知るために、すでに活躍しているパフォーマーに話を聞きに行ったりしました。学校は違ったけれど同学年で、すごくうまいなあと注目していた人です。何でうまいんだろうなと思っていたけど、すごく努力していたんですよね。自分は好きで楽しくて盛り上がればうれしかったけど、本当に真面目に努力してきたのだろうかって思いました。だから今度は本気で真正面から努力しようと決心して、会社を辞めてからはもう一日中練習していました」

プロとして自らを磨き続ける

 いきなりプロとして通用するわけもなく、1年目は収入的にも厳しかったはず。投げ銭がゼロという日もあったという。

 「お客さんが途中から誰もいなくなっちゃった時もあって、それが一番心が折れそうになりました。誰もいないのはつらい。でも、止めようとは一度も思わなかったですね。ほかのパフォーマーの芸を見に行って、ああ、こういうふうにするのかとか、どんな構成にすれば反応がいいのかとか勉強しながら、いろいろ挑戦していました。最初はボールジャグリングをメインにしたり、何を思ったか顎の上に工事現場のカラーコーンを載せてバランスをとる技を取り入れてみたり」

 現在のディアボロ中心の芸になったのは、2014年から。この年に浜松ヨーヨーコンテストのディアボロ部門に出場し、順位は真ん中程度だったがディアボロ協会関係者や仲間たちから面白い技をやるねと褒められた。

 「技は既成のものもやりますが、こんな技ができないかと自分で考えて新しい技を創ることもあります。それが評価されたのがうれしくて、ディアボロを真ん中に据えようと心が決まりました」

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