コカイン世界最大生産地コロンビアの現場から

2019年4月11日

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柴田大輔 (しばた・だいすけ)

フォトジャーナリスト

日本芸術専門学校卒業後、フリーランスのフォトジャーナリストとして取材・報告活動を始める。2004年から1年間、ラテンアメリカ13か国を旅し、現地で出会った多様な風土と人々の生活に惹かれ、コロンビアを中心にメキシコ、ニカラグア、ペルーで住民運動や日常生活を取材し続けている。

 「この土地は、とてもとても貧しい所でした」 

 コカインの原料である「コカの葉」を栽培するオスカルが、こう語る。

 彼が暮らすのは、コロンビア南西部のナリーニョ県。現在コロンビアは、コカイン生産量とその原料であるコカの葉の栽培面積が世界一となっている。その中でナリーニョは、国全体の27パーセントに及ぶ最も多くのコカ栽培地が集中する場所だ。

 コカインは高額で取引されることから「セレブのドラッグ」とも言われる。その陰で、世界で最も多くのコカを作る場所では一体どのような人々が、どのような生活をしているのだろう。

畑に建てた小屋や自宅で収穫したコカの葉を精製する(筆者撮影、以下同)

コカ栽培農家を訪ねる

 ここは標高約1000メートルの山岳地帯。熱帯に位置し、鬱蒼(うっそう)とした木々が山肌を覆っている。私は地元の男性・オスカルの案内で、彼のコカ畑を訪ねた。彼のあとをついて山道を歩いていくと、小川の先に、鮮やかな緑色の葉を持つコカの木々が目に入る。山を切り開いた1ヘクタールほどの土地に等間隔でびっしり植えられたコカの木が吹く風に揺らされさざ波のような葉音を立てている。

 私がオスカルと出会ったのは2013年。当時、コロンビアでは反政府ゲリラFARCと政府間の半世紀を超える争いが激しく続いていた。オスカルが暮らしていたのはFARCの影響下にある地域で、私はそこへ取材に訪れていた。

 オスカルは現在38歳、小学生と中学生に当たる二人の子どもと妻の4人で暮らしている。主な収入源はコカだ。そのほかに芋やバナナ、豆類などを自家消費用に栽培している。この地域に暮らす大部分の人が、彼同様、コカ栽培で生計を立てている。

 この地域にコカ栽培が広まったのは2000年ごろ。他県にコカの収穫へ出稼ぎに行っていた人々が苗木を持ち帰ったのが始まりだと言われている。彼もその時期にコカ栽培を始めた。コカが来る以前の生活をこう振り返る。

 「本当に貧しい生活で、服や靴を買うこともままなりませんでした。栄養失調になる子どもがいたくらいです。コカ栽培を始めて少し貧しさが和らぎました。ここには他に仕事はありません。コカがなくなれば、私たちの生活は以前のような貧しい時代に戻ってしまいます」

 以前は、豚や牛などの家畜を育て売ることや、時折ある建設現場の仕事についたが、建設現場は一時的なものであり、どちらも大きな収入にはならなかった。また、歴史的に政府の関与が極めて薄い地域でもある。それに対する不満は住民に根強い。彼はこう語る。

 「ここには、車が通ることができる道路は全くありませんでした。今ある道路で政府が作ったものはほとんどありません。住民がコカで得たお金を出し合って作ったのです」

 住民の力で作った車が入れる道路がわずかに伸びては来たが、大部分の場所には未だ行き渡っていない。建設計画はあるものの、毎回汚職のために予算は消えてしまい、建設が進まずに工期を終えていくのだという。また、山には満足な医療機関もないため、怪我や病気の際は病院がある町にでなければならない。自分で歩けない場合は、住民が竹を切って作った担架で車道まで何時間もかけて運ばざるを得ない。手術が必要な場合、最寄りの診療所からさらに車で4時間ほどの移動が必要になる。

車道がない山間部では、歩けないほどの怪我や病気をした人を人力で麓まで運んで行く

 「山間部の重篤患者の9割が命を落としている」と、診療所で働く職員が話す。

 「我々は政府に忘れ去れているんです。ここには何もない。悲しい事ですが、政府は私たちを助けてくれやしません」オスカルの言葉に悔しさがにじむ。

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