チャイナ・ウォッチャーの視点

2011年11月30日

»著者プロフィール
著者
閉じる

有本 香 (ありもと・かおり)

ジャーナリスト

企画会社経営。東京外国語大学卒業後、雑誌編集長を経て独立。近年とくに中国の民族問題の取材に注力している。『中国はチベットからパンダを盗んだ』(講談社)『なぜ、中国は「毒食」を作り続けるのか』(祥伝社)の他、近著に『中国の「日本買収」計画』(WAC BUNKO)がある。

 氏をはじめ、チベット人は自殺を「肯定」してはいない。殺生を厳しく禁じるチベット仏教で、自らに火を放つ行為は教えに背くことであり、僧侶ともなれば、呵責の意識はいっそう強いはずだという。しかし、万策尽きたなかで「最後の手段」に訴えたのだ、中国政府がチベット人への抑圧的な政策を改めなければ、今後もこうしたことは起きる、というのが内外チベット人の一致した見方である。

炎に包まれ、崩れ落ちるまで合掌した尼僧

 これに対し、もう一方の当事者である中国共産党当局は、「焼身自殺をする者はテロリストだ」という、なんとも冷酷無慈悲なコメントを放ち、例によって、「ダライ・ラマ側が、僧侶らの暴力的な行為を煽動している」と付け加えた。

 冒頭で紹介した尼僧の焼身自殺について、日がたつにつれ、より詳細な情報が伝わってきた。パルデン・チュツォは、タウ地区のドロチョ村出身、ダカール・チェリン尼僧院の尼僧であった。11月3日は、チベット人にとっての宗教的断食修行「ニュンネイ」の最終日にあたっており、大勢の僧侶や市民による修行は、パルデンの尼僧院から車で1時間ほど離れたナムギャル大仏塔内で行われていたが、パルデンは、その大仏塔のそばの路上で焼身自殺を図ったという。つまり衆目集まるところでの決行であったのだ。

 ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のサイトには、パルデンが、「チベットに自由を」「ダライ・ラマ法王のチベット帰還を」などと叫んで自らに火を放った、との情報が紹介されているが、別の筋では、パルデン・チュツォはそのとき、「チベット独立」と叫び、炎に包まれ、崩れ落ちるまで合掌し続けていたとの情報も伝えられている。

焼身者を殴り殺す警察官

 相次ぐ僧侶らの焼身自殺の発端は、3月16日であったとされる。折しもわが国が、東日本大震災に見舞われた5日後、チベット北東部のンガバという地方にあるキルティ僧院の若い僧侶が、焼身自殺を図った。理由は、あの北京五輪が開催された2008年に、チベット全土に広がった抗議行動を中国当局が武力弾圧してから3周年となるに際し、あらためて当局への抗議の意志を表すためだったとされる。

 ところが、現場に現れた警察官は、こともあろうに、火を消しながらも僧侶を激しく殴打し、これが死の一因となったと伝えられた。こうした情報は、チベット内に独自の情報ルートをもつ欧米メディアやチベット亡命政府系のメディア、チベット支援の団体から発信されたもので、中国政府や中国メディアからは伝えられていない。

 このときキルティ僧院には約2500人の僧侶が暮らしていたが、警察の暴行は当然この僧侶らの大きな憤りを招いた。そして当局は僧院を「封鎖」するに至ったのである。

 僧院の周囲を大勢の武装警官隊と人民解放軍が包囲し、食糧や生活用品を運びこむことのできない状況が何日も続いた。この頃、私の元へも、おもに米国のメディア関係者やチベット支援団体等から、「このままでは、僧侶たちが餓死してしまう!」という、窮状を知らせるメールが幾通も届いたが、そのレポートには驚くべきことが書かれていた。

警察や人民解放軍に丸腰で対峙するチベット市民

 はじめ私は、中国当局が僧侶らを兵糧攻めにしているとのみ理解しかけたが、実態は少々異なっていたようだ。武装した兵士らが僧院を取り囲み、その周囲を、チベットの一般民衆、当然丸腰の群衆が取り囲んでいるというのだ。多くの民衆が周囲の道路を埋め尽くすことで、軍車両のキルティ僧院への出入りを封じており、これに対し、当局が物資の搬入を止めていると書かれてあった。

関連記事

新着記事

»もっと見る