この熱き人々

2019年6月25日

»著者プロフィール
閉じる

吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 「私と同い年なので、トントンも7歳だったと思います。すごく混んでたけど子供だったから前に行かせてもらって初めて見たんですが、本当にかわいくてパンダが大好きになって、パンダグッズを集めてました」

 パンダの世話をしたいという幼い夢は、遠藤の中で消えることはなかったようで、高校卒業後に麻布大学獣医学部に進学して、着実に実現への道を辿っている。

 「飼育員になりたかったので獣医学科ではなく動物応用科学科を選びました」

 

 上野動物園から和歌山のアドベンチャーワールドへの道は、パンダによってまっすぐに結ばれていたというわけだ。

 夢叶ってパンダ飼育チームに配属された時は、2006年に永明と梅梅の間に最後に生まれた愛浜(あいひん)と明浜(めいひん)の双子が4歳、永明と良浜の間に初めて生まれた梅浜(めいひん)と永浜(えいひん)の双子が2歳、さらに永明と良浜の生まれたばかりの双子の海浜(かいひん)と陽浜(ようひん)がいて、双子が3組に両親を入れて8頭の大所帯。しかも明浜と梅浜はともにメイヒンと発音するややこしさ。

 「主に愛浜と明浜、梅浜と永浜の世話や主食の竹の準備をしていましたが、感染を防ぐために竹をきれいに水洗いして汚れを落とし、1頭分ずつ好みに合わせて分けて準備する作業がすごく大変だったのを覚えています」

 ジャイアントパンダは1日20~30キロの竹を食べるが、まず匂いを嗅いで好きなものを選んで食べる。だから1頭につき食べる量の倍の60キロほどを準備する。海浜と陽浜が離乳した後は8頭分、500キロ近い竹を洗って運ぶ。確かに大変な重労働だ。

 そもそも熊の仲間のジャイアントパンダがなぜ草食なのかに関しては、古代の人類の人口増加で高緯度地域に追いやられそこで他の肉食動物と獲物を争わなくてすむよう竹を食べるようになったとか、氷河期に寒さに強い竹を食べて生き延びるために肉食から草食になったなど諸説あるようだ。ジャイアントパンダの腸は、肉食の名残りか草食動物のようには長くない。セルロースを含む竹の栄養摂取効率も2割程度と低く、それを量で補うために食べ続けていなければならないと言われている。きっとパンダも大変なのだ。

 

 「永明は特にグルメで気に入らないと食べてくれません。永明の食べ残しを子供たちが食べてますね。逆に良浜は何でもよく食べてくれるので助かります。メスは出産や子育ての時期は食欲がなくなるので、もし永明のようなグルメだったら何も食べてくれなくて、飼育員は大変なことになってしまいますから」

関連記事

新着記事

»もっと見る