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2019年6月3日

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布施哲 (ふせ・さとる)

テレビ朝日ワシントン支局長

1997年上智大学法学部卒業、同年テレビ朝日入社。これまで政治部記者として国内政治を取材。防衛大学校総合安全保障研究科修了(国際安全保障学修士)、安倍ジャーナリストフェロー、フルブライト奨学生としてジョージタウン大学、米CSBA(戦略・予算評価センター)での客員フェローを経て現職。関心分野は米中関係、日米同盟、安全保障問題、中国および台湾による米国におけるロビー活動など。主な学術論文や著書に『米軍と人民解放軍』(講談社現代新書)、『対中アクセス拒否戦略』(国際安全保障学会最優秀新人論文賞)、『南シナ海問題の軍事的側面と戦略的意味』(慶應大学)など。

(vinhdav/gettyimages)

 「時にはディールから立ち去らなければならない時もある」

 北朝鮮の金正恩委員長との2回目の首脳会談を終えたトランプ大統領は、ハノイでの記者会見場で冴えない表情を見せていた。当初の予想に反する、意外な物別れだったと言っていいだろう。実際、トランプ大統領はハノイ入りする前、「私は急いでいない」としながらも「エキサイティングな2日間になる」、「会談は成功するだろう」と成果に意欲を見せていた。

 むしろその「前のめり」姿勢から、周りの専門家の助言を聞かずにディールをしてしまうのではないか、という懸念すら囁かれていた。まさにそれが、日本政府が最も危惧していた展開であり、同時に北朝鮮側が最も期待していた展開であった。

 しかし、予想に反して会談は物別れに終わった。会談で北朝鮮側が出した要求は寧辺(ヨンビョン)の核施設の廃棄の見返りに、経済制裁の「ほぼ全てについて解除を要求」(アメリカ国務省高官)するというものだった。

 秘密の核施設が他にも多数あるとみるアメリカ政府からすれば、老朽化が進んだ寧辺の核施設の廃棄だけでは到底、完全なる非核化への一歩と評価できない。すべての核兵器と核施設を明らかにする「核の申告」もなし。アメリカ本土を射程に収める大陸間弾道ミサイル(ICBM)や生物化学兵器の扱いも示されず、アメリカ側の失望は大きかった。

 最大の謎は交渉上手と言われる北朝鮮が、なぜ核施設一つだけの廃棄の見返りとして、経済制裁の事実上の全面解除を要求したのか、だ。確かにアメリカ側は柔軟路線ともとれるシグナルを出してはいた。「先に非核化しない限り見返りを何も与えない」という一括方式から、北朝鮮の出方に応じて見返りを小出しにしていく段階的アプローチをとる可能性を示唆するかのような発言をビーガン特別代表がスタンフォード大学での演説で行っていた。

 そうだったとしても、寧辺以外にも核施設の廃棄を提案するならまだしも、さすがに寧辺の廃棄だけを理由に経済制裁の大幅解除を求める要求は、読み違いと言うしかなかった。

 余談だが、トランプ大統領が記者会見で「寧辺以外のウラン施設を指摘した際に北朝鮮側は驚いていた」と語っている。秘密の核施設の存在を把握しているアメリカの諜報能力に対する北朝鮮側の驚きだとする解釈があるが、筆者は違う見方をとる。この「寧辺以外のウラン施設」とは平壌郊外にあるカンソンと呼ばれる秘密のウラン濃縮施設だと推測される。これは去年、国際政治を扱う情報サイトDiplomatが初めて明らかにしたもので各メディアも報じている公然情報だ。その存在を指摘されたとしても北朝鮮にとっては何の驚きでもないはずだ。

 むしろ北朝鮮側の驚きは、ヨンピョンの廃棄だけでディールに乗ってくると見ていたトランプ大統領が予想外にも拒否したことに対する驚きだったのではないだろうか。「金委員長には『この要求でいける』という耳障りのいい報告ばかりが上げられていたのだろう」と指摘する日本政府関係者は、この読み違いを北朝鮮の政治体制に起因する「インテリジェンスの失敗」だと指摘する。韓国メディアでは、北朝鮮側の実務者代表だったキム・ヒョクチョル氏に対して「アメリカの意向を把握できないまま交渉に持ち込んだ」として厳しい問責がなされたという話も伝えられている。

 真相は不明だが、少なくとも北朝鮮側もトランプ大統領の前のめり姿勢を見て、この程度の譲歩案でもトランプ大統領は乗ってくるだろう、と見ていた要素があったのであろう。では、成果作りに前のめりと見られていた、そのトランプ大統領はなぜ合意文書への署名を踏みとどまったのだろうか。

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