コカイン世界最大生産地コロンビアの現場から

2019年5月21日

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柴田大輔 (しばた・だいすけ)

フォトジャーナリスト

日本芸術専門学校卒業後、フリーランスのフォトジャーナリストとして取材・報告活動を始める。2004年から1年間、ラテンアメリカ13か国を旅し、現地で出会った多様な風土と人々の生活に惹かれ、コロンビアを中心にメキシコ、ニカラグア、ペルーで住民運動や日常生活を取材し続けている。

 産業のない地域に暮らす住民の間で徐々に広がるコカ栽培は2000年を境に激増する。1999年まで1000ヘクタール未満だったトゥマコのコカ栽培面積が2002年には5585ヘクタール、2007年には7128ヘクタールに増加した。背景にあるのが、国内の治安回復を目指すコロンビア政府が米国の援助をうけ行った、大規模コカ栽培地への除草剤の空中散布だ。それにより農地を失った農民が、新たな栽培地としてトゥマコなど太平洋沿岸へ移動したのだった。コカ栽培が移動したことで、麻薬を資金源とするパラもこの時期にトゥマコに侵入する。

麻薬経済の発展と蔓延する暴力         

 麻薬経済の訪れは地域に変化をもたらした。現在マリーさんが暮らす農村部の中心地にジョレンテという町がある。そこは1990年代初め、1500人あまりがバナナ、豆、イモ類を自給栽培して暮らす寒村だった。それがコカ栽培の普及により2001年には2万5000人へと人口が増え、商店、飲食店、売春宿などが軒を連ねる町へと変化した。

 地元住民は変化をこう振り返る。

 「お隣さんが、それまで住んでいた木造の小屋を壊してコンクリートの家を建てたんです。子どもたちには良い自転車を買っていました。私もそれを見てコカを植えはじめました。周りの人たちも同様です。それは流行のようなものでした」

コカの収穫は年に3〜4回行われる

 トゥマコ郊外では2000年後半、急増するコカ栽培を追うようにパラがトゥマコに侵入し暴力が激化した。彼らはFARC活動地を襲った。当時、FARCの影響下にあったジョレンテにパラが現れたのは2001年3月20日深夜だった。彼らは一軒一軒民家をまわり銃でドアをこじ開け、屋内から子どもを含む住民を広場へと連れ出した。彼らはゲリラの協力者を記した名簿を読みあげ31人の住民を拉致した。拉致された人々は消息不明のままだが、殺害されたと考えられている。

 ジョレンテでは2004年にかけてパラによる住民虐殺事件が繰り返された。その様子を住民が振り返る。

 「その時、私はスーパーで買い物をしてました。すると『パラが来たぞ!』という声が外から聞こえました。店にいた人が慌てて逃げ出し、私も山に逃げて2日間身を潜めました。パラはかなりの数の男性や女性、そして子どもを連れさりました。その中には解放された人もいましたが、多くの人が殺されました」

 同様に別の住民が証言する。

 「20歳くらいの若い男女がパラに『ゲリラだ』と非難され、拷問を受け殺されました。2人は善良な農民で関係がなったんです。ずっと泣きに泣いていました。パラは2人の身体をバラバラに刻み、青年は頭を切り落されました」

 麻薬利権で主導権を握ろうと、武装組織が武力で栽培隆興地域を支配しはじめていた。

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