死生天命─佐久間艇長の遺書―
足立倫行 著
明治43年4月15日、岩国沖で訓練航行中の第六潜水艇が沈没し、艇長以下14名の乗組員が絶命した。その最中、佐久間艇長が第六潜水艇内で書いた「遺書」。そこには、最期まで持ち場を離れずに沈着に職務を全うする13名の乗組員たちへの気遣い、そして極限状態に最期まで真剣に対処した姿がしたためられていた。そして、その遺書は国内外に大きな反響を呼んだ。
佐久間艇長とはいかなる人物だったのだろうか――。佐久間艇長の姿を通して、日本人が生来持っている精神の強さや誇り、リーダーとしての在り方を改めて感じることができる。
また本書は、遺書の全文をはじめ第六潜水艇遭難顚末説明図、第六潜水艇殉難者一覧、追悼文など、資料としても価値ある一冊。
◇四六判上製、167頁
◇定価:1,470円(本体1,400円+税)
◇2011年12月20日発売
<著者プロフィール>
足立倫行(あだち・のりゆき)
1948年、鳥取県境港市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学政治経済学部中退。『日本海のイカ 海からだけ見えるニンゲン社会の動悸』(情報センター出版社)、『北里大学病院24時 生命を支える人びと』(新潮社)、『森林ニッポン』(新潮選書)、『妖怪と歩く ドキュメント・水木しげる』(新潮文庫)、『激変!日本古代史』(朝日新書)など多数の著書がある。
川崎市郊外の静かな住宅地に、佐久間宏さんを訪ねた。宏さんは、明治43年(1910)4月15日、岩国沖で遭難・沈没した旧日本海軍第六潜水艇の艇長佐久間勉の孫である。
佐久間艇長は1歳2ヵ月の愛娘・輝子さんを残して亡くなったが、宏さんはその輝子さんの次男だ。輝子さんが内科医の池谷龍夫氏(昭和46年、65歳で逝去)と結婚して姓が変わったため、長男淳一氏が池谷家を、次男宏さんが佐久間家を継ぐことになったのだ。
洋間のテーブルに資料が並んでいた。
「定年になってからですね。艇長のことを頻繁に考えるようになったのは。それまではやはり仕事がありますからね。福井県の若狭町などで毎年慰霊の式典があるんですが、それまでは2、3年おきに出席していたのが、最近は毎年行ってるんですよ」
白髪で小柄、穏やかな表情で語る。佐久間艇長も小柄だった。身長約160センチ、体重約55キロほどだったとされる。
宏さんは東京工業大学を卒業して日本石油化学(現・新日本石油精製)に入社。長く応用化学のエンジニアだった。平成14年(2002)に65歳で退職した後は妻の信子さんと二人暮らしだ(隣に長男の崇さん一家が住む)。
テーブルの上の書簡や写真、関係資料などを見せてもらったが、一番有名な「佐久間艇長の遺書」(※第二部資料編参照)の原本はなかった。
「原本の手帳は大正時代まで海軍省に保管されていたんですが、関東大震災の際に焼失してしまったんです」
私は宏さんに、「なぜ『遺書』に興味を持ったのか?」と聞かれて、答えた。
3・11の東日本大震災が契機です、と。
地震や津波や原爆事故のニュースに連日接して、死生観が揺さぶられた。これまで私は、自分の死のイメージの中に病死や交通事故死を据えていたが、災害死はさほど考えてはいなかった。しかし日本列島は世界最多の地震地帯、地震や津波や火山の噴火などは(周期と関係なく)いつ何時発生するかもしれない、そう痛感したのだ。
特に、地震で建物の下敷になったり、車ごと、家ごと津波に押し流されたりする映像は強烈だった。中にいる人は、地震や津波のことを知識として知っていたはずだが、「それが今」だとは思わなかっただろう。ところが緊急事態は突如襲来し、生存空間と生存時間はものすごい速さで圧縮され、一回しかない生が確実に消滅へと向かって行く。
その時、どうするか?
──「まえがき」より
(続きは本書でお読み下さい)
<目次>
まえがき
第一部 「佐久間艇長」を歩く
佐久間艇長の銅像
幼少時代
佐久間勉を訪ねて
海軍軍人への道
海軍への思い
日露戦争開戦
妻・つぎことの出会い
呉での慰霊・追悼式典
日本海軍・潜水艇史
最後のひととき
第六潜水艇員の勇姿
第六潜水艇の遭難
何が起こったのか
今に生きる艇長の遺志
第二部 資料編
遺書全文
第六潜水艇殉難者一覧
遺言
佐久間艇長の家系図
成田鋼太郎 追悼文
「故佐久間大尉生母」(写真)
夏目漱石「文芸とヒロイック」
夏目漱石「艇長の遺書と中佐の詩」
与謝野晶子 輓歌十一首
佐久間艇長頌歌
佐久間艇長・関連記念施設等一覧


