日本人秘書が明かす李登輝元総統の知られざる素顔

2019年5月25日

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早川友久 (はやかわ・ともひさ)

李登輝 元台湾総統 秘書

1977年栃木県足利市生まれで現在、台湾台北市在住。早稲田大学人間科学部卒業。大学卒業後は、金美齢事務所の秘書として活動。その後、台湾大学法律系(法学部)へ留学。台湾大学在学中に3度の李登輝訪日団スタッフを務めるなどして、メディア対応や撮影スタッフとして、李登輝チームの一員として活動。2012年より李登輝より指名を受け、李登輝総統事務所の秘書として働く。

李登輝が「総統直接選挙」を実現したワケ

 そんな李登輝が民主化とともに推進した台湾の「本土化」の過程で、何を念頭に置いたかを表し、李登輝が好んで使う言葉がある。それが「脱古改新」だ。

 「従来からの古(いにしえ)のやり方を捨て去り、新しく改める」という意味を一言で表したこの言葉は、文字通りそれまでの中国式のやり方から切り離し、台湾として全く新しくスタートさせるという意味を含んでいる。

 李登輝が総統の座についたとき、台湾を取り巻く環境も、台湾内部も矛盾だらけだった。

 台湾を統治しているのは中華民国だが、この中華民国はもともと中国大陸で成立したものだ。第二次世界大戦終結後、国共内戦に敗れた中華民国が国ぐるみで台湾に移転してきた。

 しかも、李登輝以前の指導者は「いつかは中国大陸を取り戻す」ことを大義名分とし、台湾を戒厳令下に置いていた。

 そのため、国の根幹である憲法は中国大陸を統治することを想定して制定されたものだったし、国の行く先を決める国会は、国家総動員法に相当する「動員戡乱時期臨時条款」によって改選が凍結されていたのである。

 李登輝は台湾人として初めての総統である。それまでの蒋介石や蒋経国は中国人であり、中国大陸への「凱旋」を夢見ながら死んでいったともいえる。しかし、実際のところ、台湾はそもそも中国大陸とはなんの関係もないのだ。中華民国が一方的に台湾を自分のものにして居座ってしまっただけ、といってよい。

 そこで、これらの問題解決に着手する際、李登輝は考えた。

 「従来と同じ『中国』という枠組みのなかで制度を変えようとしても、それは根本的な改革にならない。これからの台湾に必要なのは、これまでの『中国』という考え方から脱して、全く新しい台湾を作り上げることだ」

 李登輝は、従来の枠組みのなかで制度を変えていくことを「託古改制」と称した。古来から続いてきた制度を踏襲しながら、少しずつ改めていくということだ。しかし、台湾がいつまでも中国との結びつきを残したり、中国大陸の奪還にこだわり続けることは、台湾にとって無益だと李登輝は理解していた。

 つまり、李登輝の発想は「『台湾は中華民国』という発想の出発点そのものを捨てる」ということなのだ。

 であるならば、台湾がいつまでも中国式の制度を基盤としていては、それをどんなに改変していこうとも、決して中国式の枠組みを打破出来ないと考えたのである。

 そこで李登輝が提唱したのが「脱古改新」であった。

 これこそ、李登輝が台湾の民主化を進めるうえで念頭に置いた原則であった。

 実際、中国には、歴代王朝によって「易姓革命」というものが行われてきた。中国史を見れば、武力によって王朝が倒され、次の新しい王朝にとって替わられることがたびたびあった。しかしそれは、天が地上を治めさせていた前王朝が徳を失ったがために、天が見切りをつけたことで現在の王朝に交代させられたのだという理屈である。

 「易姓革命」が起きると、上から下まで、あらゆるものが新しい王朝に塗り替えられ、歴史さえも、後の王朝によって書き換えられることがままある。とはいえ王朝あるいは国家という点から見れば、歴代の王朝もまた、前王朝の制度を引き継ぎ、皇帝が君臨するという枠組みが維持されていったにすぎないのである。

 このような中国式の制度がいつまでも維持されていては、国家というものを全く新しく生まれ変わらせることは出来ない。李登輝の頭のなかには「台湾を中国とは別個の存在にする」という青写真があったのだろう。それゆえに「古の制度は踏襲しない」と決意した。その答えが、国民が自分たちで台湾の行く末を決める民主化であり、自分たちの指導者を多数決で決める総統直接選挙の実現だったのである。

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