立花聡の「世界ビジネス見聞録」

2019年7月6日

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立花 聡 (たちばな・さとし)

エリス・コンサルティング代表・法学博士

1964年生まれ。早稲田大学理工学部卒。LIXIL(当時トステム)東京本社勤務を経て、英ロイター通信社に入社。1994年から6年間、ロイター中国・東アジア日系市場統括マネージャーとして、上海と香港に駐在。2000年ロイター退職後、エリス・コンサルティングを創設、代表兼首席コンサルタントを務め、現在に至る。法学博士、経営学修士(MBA)。早稲田大学トランスナショナルHRM研究所招聘研究員。

 
(REUTERS/AFLO)

 ハノイで「喧嘩別れ」となったトランプ米大統領と金正恩朝鮮労働党委員長は6月30日、板門店で「電撃的な再会」を果たした。多くのメディアはこの会談を単なる「政治ショー」と評しているが、果たしてそうなのか。会談の一部始終を見る限り、確かに「ショー」と言える部分がある。

 ただ、それが単純な「ショー」なのか。「ショー」と「実務」を二項対立的に捉えるよりも、当事者にとっての真の「実務」とは何かを見極めことがはるかに大事である。政治家のあらゆる「ショー」は、その真の「実務」遂行・達成のためのツールに過ぎない。では、当事者たちの「実務」とは何であろうか。

「核廃棄」を棚上げにするワケ

 メディアも含めて米朝以外の「第三者」にとっての「実務」とは、北朝鮮の核廃棄だったり、あるいは日本にとっては拉致者問題の解決だったり、当事者によってはそれぞれ異なる「実務」を抱えている。

 もちろん、「核放棄」は当事者である米国にとっても大事なアジェンダである。しかし、現状を見る限り、金正恩に核を完全放棄させることはほぼ不可能だということが分かる。「だからこそ努力するんだ」という精神論の次元に突入し、理想と現実のギャップを無視して実現不可能な「最善」を求めても生産的ではない。

 そもそも論になるが、核放棄を求める最終的目的は、核の使用を根絶するためである。ならば、核が使われない一定の裏付けがあれば、核保有を事実上容認するのも「次善」ながら、一つの実務的選択肢となる。それを第一歩にし、今後の状況を踏まえて「最善」の実現を目指していく。そうした二段構え、あるいは三段構えのアプローチも考えられる。

 ならば、金正恩が核を使用する動機付けを取り除くことが第一義的な課題設定となる。核を持とうとする国は概ね(超)大国とならず者国家の二種類である。ならず者国家は政権の存続を保障するために核を持つ。北朝鮮はどんなに射程を延ばして大陸間弾道ミサイルを手に入れたとしても、米国領土に一発でも打ち込む勇気などはない。

 ならば、トランプの実務は果たして、北の核廃棄にあるのか? 答えはイエスであり、ノーでもある。「核廃棄」は「最善」となる満点回答でありながらも、実現の見込みがないと判断した時点で、「次善」の解を探し求めるのが「実務的」なアプローチである。その反面、「最悪」を避けるうえで、「次悪」を受け入れるのも同じ原理に基づく(後ほど詳述する)。

 「政治ショー」と「実務」は必ずしも二項対立とは限らない。金正恩政権においてもまた然り。核開発それ自体も一種のショーにすぎず、そもそも米国本土にミサイルを打ち込む実務的な計画があるとは思えない。米国のルーズベルト大統領はアフリカのことわざを借りて「Big Stick Diplomacy(棍棒外交)」を作り上げた。大きな棍棒は殴り合うためのものではない。穏やかに話し合って、言い分を通すための道具なのである

 金正恩はその辺の「帝王学」的な勉強をしっかりしているならば、棍棒を手放すことはあるまい。一方、トランプは、これを理解したうえで、むしろ棍棒を手放させるという非現実的「最善」を断念し、棍棒を振り回さないという「次善」の実現を第一義的な実務として課題設定するだろう。

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