2024年4月20日(土)

From NY

2019年7月19日

100円ショップの原点はアメリカにあった

 ところで100均ショップの元祖は、アメリカから始まったことをご存知だろうか。その起源は19世紀の後半とされている。

 1879年にフランク・W・ウールワースが、「ウールワースズ・グレイト5セントストア」をニューヨーク州ウティカにオープン。だが第一号店は数ヶ月で閉店になり、同じ年の夏に今度はペンシルバニア州ランカスターで再オープンし、大評判になったという。後には弟のチャールズ・サムナー・ウールワースも経営に参加して、ウールワース・ブラザーズ店舗をどんどん増やしていった。

 ニューヨークにちょっと興味がある人なら、ウールワースといえばピンと来ただろう。1913年に彼らのヘッドクオーターとして建てられたのが、マンハッタンで最も古い高層ビル、60階建てのウールワースビルディングだった。現在もダウンタウンにあるこの美しいネオゴシック建築は、1930年にクライスラービルが出来るまで世界でもっとも高いビルだった。当時の建設費は全額現金で払われたというから、いかに彼らのビジネスが成功していたか伺える。

 ウールワースが大成功すると、同じコンセプトの店が続々登場し、5セント&10セントストア、あるいは5セント&ダイム(10セント玉の俗名)ストアと呼ばれた。

当時の5セント、10セントの価値は

 ところで当時の物価で5セントと10セントはどのくらいの価値があったのか。

 19世紀の終わりのニューヨークでは、移民してきたばかりの家族がもっぱら住んでいた質素なアパートの家賃がおよそ月10ドル程度。ミルクが1クオート(1リットル弱)6セント。卵が1ダース40セントだったという記録がある。

 現在のニューヨークの物価と比べてみると、ミルクは50倍、卵は10倍、不動産バブルで家賃はおよそ250倍と、値上がり比率にばらつきがある。だから当時の5セント、10セントを現在の価格に変換することは難しいが、5セントは現在の100円よりも価値があったのではないだろうか。

 工場で働く男性の月給は40ドルほどで、労働者階級の家は家計が苦しく、主婦、子供たちも外で労働をして収入を得ていたという。そんな中で、5セント均一、10セント均一を打ち出した薄利多売のビジネスは、庶民の心強い味方であったに違いない。

 ウールワースはその後大手スーパーマーケットへと転身し、ヨーロッパなどにも支店を作っていったが、アメリカでは1997年に倒産。その後名前をフットロッカーと変えて、現在はスポーツ用品とスニーカーの専門店として営業している。

100均ショップの元祖を引き継ぐ「ジャックス」

ジャックス99セントストア

 ウールワースはなくなったものの、そのビジネスコンセプトは、現在「99セントストア」と姿を変えて引き継がれた。

 全米各地に似たような名前の店はあるが、マンハッタンにある最大級のフランチャイズは「ジャックス99セントストア」だろう。(現在の社名はジャックス)99セントのものは現在あまり多くはないが、品物によって1ドル99セント、2ドル99セントなどの割引価格で売っている。

ジャックスには、閉店に伴う在庫整理の品物が集まる

 ダイソーと最も違うのは、扱っているのがオリジナルの製品ではなくて閉店に伴う在庫整理の品物などを集めて販売している、いわゆる「クローズアウトストア」であることだ。食料品から日常生活用品、寝具や衣類、ちょっとした家電まで何でもある。といっても、クローズアウトストアなので日によって入荷された品揃いは違う。

 いつもそれなりに混んでいて、時には掘り出し物もある。でも品質管理はそれほど良くなく、外装の箱がへこんでいたりという程度のダメージは日常茶飯事。店内全体にちょっとうらびれた雰囲気があることは否定できない。

 その点、店全体に活気があり、品質管理がしっかりしていて、オリジナル商品の多いダイソーはニューヨーカーにとってこたえられないほど魅力的なのに違いない。5セントストア時代のウールワースも、品質管理の良さと顧客サービスで知られていたという。ウールワースの真の後継者は、もしかするとダイソーなのかもしれない。

  
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