コラムの時代の愛−辺境の声−

2019年7月27日

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藤原章生 (ふじわら・あきお)

毎日新聞記者

1961年、福島県生まれ。北海道大学工学部卒業後、住友金属鉱山に入社。89年に毎日新聞社に入り、ジャーナリズムの道へ。92年に外信部に所属し、 93年にメキシコ留学。帰国後の95年から南アフリカ・ヨハネスブルグでアフリカ特派員、2002年からは、メキシコ市支局長、ラテンアメリカ特派員。08年〜12年までローマ支局長。5 年半に渡るアフリカ特派員時代の取材を元にした著書『絵はがきにされた少年』(集英社文庫)で05年の開高健ノンフィクション賞受賞。著書に、『世界はフラットにもの悲しくて』(テン・ブックス)、『資本主義の「終わりの始まり」―ギリシャ、イタリアで起きていること』 (新潮選書)、『ギリシャ危機の真実 ルポ「破綻」国家を行く』(毎日新聞社)『翻弄者』(集英社)、『ガルシア=マルケスに葬られた女』(集英社)。

『工作黒金星ブラック・ヴィーナスと呼ばれた男』© 2018 CJ ENM CORPORATION ALL RIGHTS RESERVED、以下同

 商売人になりすまし北朝鮮に潜入する韓国のスパイを描いた韓国映画「工作 黒金星(ブラック・ヴィーナス)と呼ばれた男」(2018年、137分)がシネマート新宿などで上映されている。朝鮮半島の軍事的緊張が高まり、韓国政治が大きく揺れた1990年代の物語である。重苦しいムードを予想したが、意外にもユーモア混じりのすっきりした後味を残した。

 ユーモアを感じさせる大きな要因は、スパイを演じた俳優、ファン・ジョンミンの演技力だろう。韓国陸軍の少佐だった主人公は国家安全企画部に呼び出され、北の核開発情報をつかむ工作員にさせられる。

 スパイになるのを前にまずは周囲をあざむくため、酒とギャンブルに溺れ借金を重ねる。その末、起死回生を図る貿易商になりすましていく。

 私は韓国語を解さないが、「商売人」になり切った俳優の演技が実にうまく、映画の冒頭から自分自身が彼の心に入り込んだような気になった。

 1970年生まれの俳優が工作員を演じてはいるが、その工作員がひょうきんを絵で描いたような「営業マン」を演じている。映画鑑賞者はいわば二重の演技を見せられているわけだ。その二重性が効いてくるのか、あくまでも演技にすぎないとわかっているのに、実はこの男は根っからの商売人ではなかったかと思わせるような場面が小刻みに出てくる。

 北京にいる日本人や朝鮮族に接触する中、北朝鮮の対外経済委員会の所長と親交を深めていく主人公。そんな「手に汗握る場面」に、「いつバレはしないか」とヒヤヒヤするところだが、見る側にさほどの緊迫はない。

 おそらく、俳優の演技を見ているうちに、見る側がその「営業マン」ぶりにすでに半分くらいは騙され、彼の正体が明かされることはないと半分くらい確信してしまっているからではないか。

 その分、見る側は「主人公の物語」を安心して追い、この男に備わった小気味よさ、軽快さ、おかしみを素直に感じ取る。作品に流れるユーモアはそんなところからきているように思える。

 スパイ映画は通常、正体を見破られそうな場面が一つの見せ場になる。冷戦時代、米ソを舞台にしたいくつものスパイ映画があったが、韓国映画「工作」から連想したのはクリント・イーストウッド監督、主演の「ファイヤーフォックス」(82年)だ。

 米軍の元空軍パイロットがソ連に潜入し、新型の戦闘機を盗み出すという話で、主人公が偽のパスポートを手にモスクワ空港の入国管理官を前にする場面は、見る者を震え上がらせる効果があった。

 強いはずの主人公が汗びっしょりになり、心臓の音がぐんぐん早まり高鳴っていく緊張感に見る者が同調する。

 

 一方、「工作」の場合、そのような過剰演出はなく、恐怖を音楽で盛り上げたりもしない。

 あくまでも主人公の表情を淡々と見せているところが、よりリアルに見え、「スパイとは本来こういうものではないか」と思わせる。

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