2024年4月19日(金)

Wedge REPORT

2019年8月11日

熱気あふれる玖波公民館の体育館

 広島県の西の端にある大竹市。そのなかに「玖波(くば)」というまちがある。かつては「西国街道(さいごくかいどう)」の宿場町として栄えたが、今や高齢化が進み、人口は4300人。そんなまちの公民館が、文部科学省から日本一に選ばれた。2015年のことだ。噂を聞きつけて本誌連載でも取材に行った(『広島の小さな町のマジック、公民館日本一になれた訳』)。

 玖波公民館を日本一にした立役者である河内ひとみさんと約束したのが、「くばコレ」を見にいくということだった。「パリコレってあるでしょ、あれよりも全然すごいんだから」と、河内さん。

 ということで、約束を果たすべく「くばコレ」取材に出かけることにした。ところが、開催前日の7月19日(金曜)、梅雨が長引く中で西日本を台風が直撃する予想が出た。これは中止だろうなと思って、広島県大竹市玖波公民館の河内さんに電話をした。

JR山陽本線の玖波駅

 「明日、台風が来るみたいなんですけど、大丈夫ですかね?」

 「どこから来るんですか? 岩国空港、じゃ大丈夫よ。米軍が使っとるから少々のことじゃ閉鎖にならないのよ。山の上にある広島空港とは、そこが違うんよ。じゃ、待ってます!」

 河内さんの勢いに押されてさすがに「行けない」とは、言えなかった。

 7月20日早朝、台風は広島方面から大きくそれたこともあって飛行機は無事に岩国空港に到着した。キャビンアテンダントから、「米軍基地にある飛行機を機内から撮影しないで下さい」と指示が出た。

 岩国空港から岩国駅まではバスで約15分。それから山陽本線に乗って、広島方面へまた15分。和木、大竹、玖波の順番だ。玖波駅の可愛い駅舎の前に立つと、高齢者の女性2人が何やら話している。

 「手打ちそばが食べられるんだって」

 「それりぁ、ええね。食べよう食べよう」

 早速声をかけた。

 「もしかして、くばコレに行かれるんですか?」

 「そうなんよ。いつの間にか大きなイベントになって、みんな楽しみにしとるんよ」

 駅の道を真っすぐ海側に向かって歩いて行くと、玖波公民館がある。左手の海には厳島(宮島)が見える。

 公民館に入ると、入り口は子どもたちの歓声が聞こえてきた。大きな水桶に、サザエ、ヒトデ、アメフラシ、カブトガニなどが入っている。宮島水族館からやってきた海の生き物たちだ。実際に触ることもでき、生体について職員のお兄さんたちが解説してくれる。

宮島水族館からきた海の生物

 子どもたちに混じってサザエを触らせてもらった。手のひらでゆっくりと動くサザエは大きなカタツムリのようだった。

 この人垣の奥に河内さんを発見。挨拶も早々に、「これどうぞ」と、手打ちそばの食券をいただいた。2階にいくと、そば打ちの男性陣がそばつくりに精を出していた。12時前なのに早くも70杯でオーダーストップだという。

 普段は学生たちの自習室として使われる部屋が、簡易食堂に。地元の人たちと話をすることができた。

 「玖波のまちがどうかって? そりゃ、クルマがないと生活できんよね。お店がないからね。子どもも減っとると思うよ」(夫婦で訪れた女性)

 「くばコレの良さ? うーん。特別な人たちがよそから来てなにかをするということではなくて、住民の人たちが楽しめるってところじゃないかね。ステージ? 私も出るんよ。人前に出ると、普段とは違う自分を出せる気がするんよ」(孫が参加したことがきっかけで、参加するようになったという女性)

 くばコレの開始は13時からだが、12時すぎには、公民館の体育館にはすでにはち切れんばかりに人々が集っていた。ステージそでには、仮装した人から、警察、消防の人まで。小雨が降り、体育館の中も冷房が効いているとはいえ、蒸し暑い。そんななか、今か今かと、皆んなが開演を待っている。

 まだ時間があるので、海でも見ようと、公民館の外へ出た。玖波港のそばに臨時駐車場が作られていた。クルマの誘導をしていた黒田孝士さん(80)に話を聞いた。

 「やっぱり、河内さんですね。企画力がすごいです。お金を使ってよそから人を連れて来るんじゃなくて、地元の人たちが作り上げる。だから楽しいんだと思います」

 黒田さんは、定年退職を機に東京から、地元玖波に帰ってきたという。くばコレに参加するようになったのは、「学びカフェ」に参加したことがきっかけだ。

 学びカフェというのは、河内さんが、公民館改革の最初に行った取り組み。「貸し館業務」がメインで、暗くてダサいという公民館のイメージを変えるためにはどうすれがいいか? そこで考え出したのが、快適でお洒落なイメージのあるカフェ。最初は人に集まってもらうことを目的として、関心の高いテーマ「マイナンバー」「年金問題」など、学びカフェを開催した。

 そうするうちに、学びカフェに参加する人のなかで中心メンバーが固定されてきた。この人たちが中心になって、「地域人(ジン)」となった。この「地域人」が中心になって、地域の課題を考えるという取り組みがはじまった。

 こうして「地域の人たちのつながりが希薄である」という、最大の地域課題が改善していった。旧西国街道沿いには「うだつの町並み」が残っており、そこを皆で歩いたり、高齢者に講師になってもらって町の歴史を聞いたり、地域人が中心になって中学校の文化祭に参加したり……。

 河内さんは、こう振り返る。

 「人と人のつながり の大切さ、地域の方々をつなぐきっかけ作りが少しでもできたのではないでしょうか。玖波のまちに、数年前に最後のスーパーまで閉鎖し、何もなくなった、まちに、笑顔がいっぱい増えました。ないものを求めずに、あるものから、楽しさや生きがいを、見つける技を、見つけ方を、地域のみんなと共に! まちの人口は増えていないけど、家にこもっている人が、外に出る人口は増えた。毎日、公民館が多世代で、賑わってます」

 誰かに与えてもらうイベントではなく、自分たちが楽しむことのできるイベントを自分たちで企画する。それが「くばコレ」の誕生につながった。


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