ちょっと寄り道うまいもの

2012年2月17日

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 開高健に「越前ガニ」という短編がある。傑作と名高い食のエッセイである。読むとお腹がすく。カニを食べに行きたくなる。

 文豪は小説の神様、志賀直哉の話から、越前ガニの話を展開する。「痴情」という短編小説の中に、“どこか遠い北の海でとれたカニを思わせる”女云々というような表現があるが、その北の海は北海道ではなくて、冬の日本海であろうと。だから、神様のカニも、毛ガニやタラバではなく、越前ガニであろうといい、食べる。

 あまりにも巧みな比喩、表現に唾が湧き、カニを思わせる女とはどんなものなのだと悶々とする。文豪もカニの味は分かっても、「カニのような女」はまだ分からんというのだが、こういう時は原典を読まねばなるまい。

 「女には彼の妻では疾(とう)の昔失われた新鮮な果物の味があった。(中略)北国(ほっこく)の海で捕れる蟹(かに)の鋏(はさみ)の中の肉があった」とある。あぶない文章だが、この文脈なら、文豪が何故、越前ガニを思い浮かべたのか、想像が付く。

 何より、「北の海」ではなくて、「北国の海」である。きたぐにではなく、ほっこく。であれば、越後から越前、若狭のあたりまでの北陸道を想起するのが道理だ。カニというのも文豪の推測通り、場所によっては越前ガニ、松葉ガニ等々と呼ばれる、ズワイガニに違いない。

 それにしても、“蟹の鋏の中の肉”のような女は分からぬままである。そういえば、北国とは少しずれるが、神様には行きつけのカニの産地があった。城崎温泉である。あの「城の崎にて」の舞台。神様、小説には北国と書いたが、城崎温泉で食べたものを思いだしたのではないか。

 調べてみると、神様の定宿、三木屋にはカニ尽くしの宿泊プランがある。カニが呼んでいる。

 城崎温泉は昭和の匂いのする温泉地だった。射的屋まで残っている、昭和そのものの町並み。

 「大きな資本が入って来ることもなく、バブルに踊らされることもなく、とりたてて変わっていない宿が多いもので」

 だから、昭和と感じられるのでしょうねと、三木屋の若主人、片岡大介さん。

三木屋に残る志賀直哉愛用の客室26号室。緑あふれる庭の眺めが美しい

 その三木屋は創業300余年を数える。現在の建物も大正末の北但大震災で倒壊したあと、昭和の初めに再建されたものである。それさえ80年を越える。志賀直哉はさらに前、まだ無名の頃、大正2(1913)年から、晩年の昭和30年代まで何度となく通った。「城の崎にて」をはじめとする作品もその縁で誕生している(ちなみに、温泉も町も表記は城崎である。小説では、少しフィクション性を持たせようと、城の崎と記したか)。

 好んで滞在した部屋も残っている。今のところ、普通に泊まれる。何気ないといえば、何気ない、それこそ昭和の時代なら当たり前の部屋である。ただ、その時代を生きたものには帰ってきたような気持ちにさせる。一番、奥まった部屋の静寂がよろしい。窓から見える庭がよろしい。神様も、その緑に気分を一新させ、静寂の中、原稿を書いたか。


*出典:『小僧の神様・城の崎にて』(新潮文庫)

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