赤坂英一の野球丸

2019年9月11日

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他球団にはない特別な意義

 カープが自前の博物館を持つことには、他球団にはない特別な意義もある。言うまでもなく、カープが原爆からの復興の象徴だったことだ。「カープ物語」のチラシやポスターのコピーにも、毎回「原爆ですべてを失った広島でカープは人々の生きる希望だった」と謳われている。

 「カープ物語」を企画した泉美術館はもともと、地元広島の各地でスーパーマーケット〈ゆめタウン〉を経営するイズミ会長・山西義政さんが97年に開館した。山西さんは広島県大竹市出身で、戦地で終戦を迎えた数カ月後に広島へ帰郷。原爆で母親を亡くし、闇市で畳一畳の商売から大手スーパーの経営者にのし上がった立志伝中の人物である。

 

 山西さんが泉美術館をつくった当初の目的は、自分の絵画コレクションを公開するためだった。が、イズミが創業50周年を迎えた11年、原爆から広島の商店街が復興する様子をプロの写真家が撮った作品を集め、「復興の記憶 広島戦後の商業史」という写真展を開催したら大好評。これが15年、同じ写真家たちの展示会「復興の記憶 ヒロシマを見つめた写真家たち」へと発展する。

 その中に、広島出身の佐々木雄一郎さんが撮影した50年のカープ結成披露式の写真があった。これを見た広島の人たちの間から、「次はぜひカープの写真展をやってほしい」と望む声が上がったのだ。山西さんの娘で、泉美術館の理事長を務める道子さんが言う。

 「だから、原爆、復興、カープというのは、切っても切れないつながりがあるんですよ。広島の人間が原爆からの復興で培った、何事も最後まで諦めないという気持ち。カープは広島で、そういう前向きな姿勢を育む役割を担っているのです」

 ちなみに、カープ結成披露式の写真は今年4月25日に展示内容がリニューアルされた広島平和記念資料館、いわゆる「原爆資料館」にもある。復興の歩みを示す一場面、「平和記念都市建設法と復興事業の進展内の資料」として展示されており、これは「カープ物語」の数々の写真と同様、中国新聞社が提供したものだ。

 カープには最近まで、自前のオフィシャル・カメラマンがいなかった。そのため、70年に及ぶ球団史を網羅した写真のほとんどは、中国新聞社が所蔵している。

 中国新聞社とカープの間に、ジャイアンツと読売グループ、ドラゴンズと中日グループのような資本的・系列的つながりはない。が、過去に公式球団史『V1記念 広島東洋カープ球団史』(76年)、『カープ30年』(80年)、『カープ50年-夢を追って-』(99年)を共同製作。09年に開場したマツダスタジアム建設に当たって、中国新聞社が大リーグ球場の調査や資料集め、広島市民から寄付を募る「たる募金」の実現と宣伝など、様々な面で協力し合ってきた実績がある。

 そういう最近の出来事も含めて、インターネットの記事などではなく、カープの博物館で当時報道された写真を見てみたい、公式に展示された資料に接してみたいと思っているファンは少なくないはずだ。もしマツダスタジアム(あるいはその近く)にミュージアムができれば、新たな市民の憩いの場、県外のファンも足を運ぶ観光名所にもなるだろう。

 広島で生まれ育ったライターとして、カープ博物館建設の実現を切に願う。

◎参考資料
○展示会
泉美術館『見る・知る・楽しむ カープ物語』(今年7月11日~9月29日まで開催)
○小冊子
『イズミ創業50周年記念「復興の記憶」広島戦後の商業史』(公益財団法人 泉美術館)
『被爆70周年記念写真展「復興の記憶」ヒロシマを見つめた写真家たち』(同上)
○新聞記事
中国新聞『連載「生きて」イズミ会長 山西義政さん①~⑮』2011年11月2日~23日付

  
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