WEDGE REPORT

2012年3月1日

 一つ目は、リスクの比較です。ものさしとしては便利なのですが、単純に比較してはいけない場合もあります。例えば、発ガンリスクを並べたときに、今回の事故による被ばく線量と、放射線治療やレントゲンによる医療被ばくなどを発生確率だけで比較して、「安全」という主張がありました。しかし、後者にはメリットがありますし、選択権があります。事故による被ばくには、メリットもなければ選択もできませんでした。リスクを受容するか拒否するかには、メリットがあるかどうか、自ら選択可能か、社会全体としては公平かどうか、社会正義に関わる判断が強く影響します。こうした観点を「リスク認知」と言います。

 こうしたリスク認知の質的な違いを無視して、安易にリスクを発生確率だけで比較してしまうことで、市民に怒りが生まれる、という悪循環に陥ります。

 二つ目は、リスクコミュニケーションに関する知識をもった人間が、政府内にいなかったことです。外部からはアドバイスがあったりしたかもしれませんが、不足していたことは間違いないでしょう。今回は、科学的な知識とともに、それを受けて今後どうすべきかという対策を練らなければなりませんので、政府内の意思決定に関わる人物にリスコミの知識がなければスムーズにいきません。

 人材育成に力を入れていなかったわけではありません。大阪大学でも、「環境リスクマネージャー育成プログラム」(現在は終了)がありましたし、2000年代初頭には政府からの援助もあり、東京大学や北海道大学でも同様のプログラムが組まれていました。しかし、多くは当時話題になっていた「理科離れ」を食い止めることが目的で、科学者から市民への発信のベクトルが強く、知識を一方的に「与える」ということに偏っていました。

市民の考えを伝えるコミュニケーターの不足

 今回の事故では、必要に迫られた市民がITネットワークなどを活用しながら自ら学び始めたことが大きな特徴です。この時に、市民が知りたいこと、不安に思うこと、伝えたいことを適切に言語化し、科学者や政府へと発信する人材が圧倒的に不足していたという問題が浮き彫りになりました。

 例えば、今回の放射能汚染で「ゼロリスク」を求めるな、という専門家がいます。市民からすると、「ゼロリスク」=「今回事故以前の状態」に戻してほしいという言わば「原状回復要求」であり、それを真っ向から否定されることへの抵抗感があるでしょう。こうした内容を、私が以前に自身のHPで偶然書いていたのですが、今回の事故以降、ツイッターなどで広まっていました。「自分のモヤモヤしていたことが言葉になっていてすっきりした」というつぶやきがあり、まさに、市民側のコミュニケーターが不足していたのだと感じました。

 三つ目の問題は、日本学術会議がまったく機能しなかったことです。専門家が集まっており、政府に勧告する権限を有しているにも拘らず、まともな情報が出てきませんでした。意見集約をして政府に助言としてまとめあげる機能がないのです。時間をかけても、独立性をさらに高めて、極論ではなく、幅のある形で情報発信をしていける機関として機能してほしいと思います。

――これら3つの問題点に加えて、今後事故の教訓を活かして社会の仕組みづくりを進めていくためにすべきことは何でしょう。

平川准教授:国の政策について、市民がコメントする、参加するという仕組みづくりが今後もっと必要になります。現在も主に食品の分野では、食品安全委員会やリスクコミュニケーションと称する説明会など、比較的実施はされています。

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