立花聡の「世界ビジネス見聞録」

2019年9月10日

»著者プロフィール
著者
閉じる

立花 聡 (たちばな・さとし)

エリス・コンサルティング代表・法学博士

1964年生まれ。早稲田大学理工学部卒。LIXIL(当時トステム)東京本社勤務を経て、英ロイター通信社に入社。1994年から6年間、ロイター中国・東アジア日系市場統括マネージャーとして、上海と香港に駐在。2000年ロイター退職後、エリス・コンサルティングを創設、代表兼首席コンサルタントを務め、現在に至る。法学博士、経営学修士(MBA)。早稲田大学トランスナショナルHRM研究所招聘研究員。

 

中国人にとって豚肉とは?

 中国北宋代の政治家・詩人、蘇軾がこういう詩句を残した。「寧可食無肉、不可居無竹。無肉令人瘦、無竹令人俗。人瘦尚可肥、士俗不可医」。大意は以下の通りである。

 「食に肉がなくとも良いが、居には竹がなくてはならない。肉が無いと人は痩せ、竹が無いと人は凡俗になる。人は痩せるとまた肥えることができても、士(知識階層・支配階層)は凡俗になれば、治すことができない」

 中国古代の文人は松・竹・梅を「歳寒(苦難のときの)三友」とし、これらを自分になぞらえるか、高尚な品格への尊敬や憧れを表し、そのなかでも竹を高い節操の象徴としてこよなく愛していた。詩人などの「士」は自分の宅園にも多くの竹を植えた。もちろん、蘇軾もその1人だった。彼の詩句は雅俗の高低を意識し、表すものだった。

 ちなみに、日本人にもよく知られているあの名中華料理「東坡肉(トンポーロウ)」も実は蘇軾が考案したものだった(「豚の角肉」とは少々違う料理だが)。料理の名前は彼の号である「蘇東坡(スウ・トンポー)」に由来する。ということは、句中の「肉」とは間違いなく「豚肉」を指しているのだろう。これを裏付けるには、蘇軾の「食猪肉」という別の詩がある。中国語の「猪肉」はつまり「豚肉」である。

 「食猪肉」には、「価賤等糞土、富者不肯喫、貧者不解煮」という一節があった。豚肉のことを、「豚肉の値段は糞土のように安い、金持ちはこんなものを食おうとしないし、貧乏人は煮ること(調理法)を解しない」というふうに描写し、そこで蘇軾は自ら豚肉の美味しい調理法を考案したわけだ。

 マズローの欲求5段階説に照らしてみると、豚肉を食するというのは「生理的欲求」「安全欲求」(低次欲求)レベルにとどまるが、竹を愛するとなると、「士」たる知識階層・支配階層という所属をはっきり自己意識し、かつ他者に意識させる、つまり「社会的欲求」「承認欲求」あたりの高次欲求にステップアップするものといえよう。

 「肉よりも竹」というのはまさに、「団子より花」的なニュアンスを有しているのではないだろうか。マズローの欲求5段階説だけでなく、「食猪肉」の「価賤等糞土、富者不肯喫」にも表れたように、安価な豚肉は金持ちが見向きもしない食べ物だったことが分かる。

 「衣食足りて礼節を知る」。――中国社会では、豚肉は古来から「衣食」の基本的需要アイテムに位置付けられてきた。豚肉が食べられないとは、衣食不足を意味するから、礼節に程遠く及ばなくなる。そんな感じがする。

 戦争や飢饉・動乱の年代においては、「豚肉を食べる」とは中国人庶民にとって晴れの食事にありつくことであり、一時的な快楽であっても、それが飢えや貧困から脱出し、夢に酔い痴れる至福のひと時なのである。

 詰まるところ、豚肉が食べられるかどうかは、中国人にとって貧困脱出の分岐点であり、衣食充足のボトムラインでもある。豚肉は、一種のベンチマーク、今風に言うと、GDPの体感温度的な指標といってもよかろう。

関連記事

新着記事

»もっと見る