立花聡の「世界ビジネス見聞録」

2019年9月10日

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立花 聡 (たちばな・さとし)

エリス・コンサルティング代表・法学博士

1964年生まれ。早稲田大学理工学部卒。LIXIL(当時トステム)東京本社勤務を経て、英ロイター通信社に入社。1994年から6年間、ロイター中国・東アジア日系市場統括マネージャーとして、上海と香港に駐在。2000年ロイター退職後、エリス・コンサルティングを創設、代表兼首席コンサルタントを務め、現在に至る。法学博士、経営学修士(MBA)。早稲田大学トランスナショナルHRM研究所招聘研究員。

 

豚肉食べられないと、どうなる?

 中国は高度経済成長を遂げ、世界屈指の金持ち国家になった。国民が豊かになり、特に多くの都市部住民にとってみれば、豚肉はまさしく「価賤等糞土、富者不肯喫」たる安価な「下級」食材に成り下がった。

 中国人経営者や少々の富裕層に招かれて食事会に行くと、豚肉料理が出るチャンスはゼロに等しい。ところが、時代が変わった。問題は富裕層ではなく、一般の庶民にとって豚肉が再び手の届かない、あるいは届きにくい食材になった場合、それは深刻な問題である。

 中国人富裕層にとってみれば、豚肉は日常的必需品ではない。高級食材に関しては代替供給先があれば、何の問題もない。例を挙げると、ロブスター。昨年(2018年)7月に中国が米国産ロブスターの関税を引き上げた。今年上半期の対中輸出は昨年同期の544万キロから100万キロに急落した。一方では、中国市場の需要がカナダに持っていかれ、同じ上半期の同国の対中輸出は1497万キロにも達し、昨年の通年出荷総量に匹敵する。中国国内の富裕層消費者にとってみれば、価格が上がっても供給さえあれば問題にならない。ロブスターが米国産だろうとカナダ産だろうと関係ないわけだ。

 しかし、豚肉は違う。中国は世界一位の豚肉消費大国である。豚肉の消費量が中国人肉類消費総量の60%にも達している。中国の金持ちは一握りにすぎず、大多数の中国人(いわゆる庶民層)はやはり豚肉の価格とにらめっこしながら一喜一憂している。

 中国共産党は西側の民主主義制度を拒否して独裁統治を継続している。その統治の正当性を裏付ける最大要素は、共産党が中国を世界2位の経済大国に仕上げたことであり、平たく言えば、ほとんどの中国人が日常的に豚肉を食べられるようになったのはその象徴的な出来事である。

 「王者以民人為本、而民人以食為天」(史記)。王は民を本(もと)とし、民は食を天とする。中国人の挨拶で「チーファンラマ(ご飯を食べたか)」が「ニーハウ(こんにちは)」と同列に扱われているほど、食事は重要なイベントである。台湾や香港など一度民主主義や西方文化を体験した人たちを除いて、少なくとも中国本土の多く(大多数)の人民は民主主義云々よりも、まず食べること、ある程度安定した暮らしができることを優先的に求めている。

 香港デモを目の当たりにし、「あの香港人たち、十分に飯食えるのに、なんであんな騒動を起こすのか」といささか納得せず、デモを非難する本土の中国人も少なからずいる。これもひとえに「民以食為天」の考え方が深く中国社会に根差しているためであろう。

 そういうこともあって、中国の為政者は何よりもまず人民の食に目を配らざるを得ない。特にベンチマークとなる豚肉の存在が大きく、最重要事項として慎重に扱うだろう。庶民が豚肉を食べられないと、経済発展の意義や統治の正当性が問われかねないからだ。

 養豚業を発展させよ! 8月19日、四川省農業農村庁が音頭を取り、全省16の官庁が合同で「全省における養豚業の促進と市場供給の保障に関する9条の措置」たる通達意見徴収稿を発布した。同日付けで、江蘇省政府も負けずに「養豚業の回復と発展を促進する支援政策に関する通知」を下達した。

 豚肉問題になれば、養豚業に手をつける。このような対症療法をいくらやっても、抜本的な問題解決に至るとは思えない。結局市場メカニズムに委ねることができず、古き悪しき「計画経済」の発想から抜け切れていない。だから、米中貿易戦争が収まらないわけだ。トランプ大統領が求めているのは、本物の市場経済化である。

 さらに、中国生態環境部(環境省相当)は9月5日、各地の地方政府に環境保護を理由に養豚事業を制限してはならないという異例の通達を発出した。環境保護基準に達していない養豚業者に対しては閉鎖命令で禁止するのではなく、一定の経過措置を講じ温存するというものだ。

 挙国一致体制がうまく機能するのか。中国の養豚業は躍進するのか。ひいては豚肉や食糧問題が解消できるのか。いずれも不透明のままである。

  
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