田部康喜のTV読本

2012年4月4日

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田部康喜 (たべ・こうき)

東日本国際大学客員教授

福島県会津若松市生まれ。幼少時代から大学卒業まで、仙台市で暮らす。朝日新聞記者、朝日ジャーナル編集部員、論説委員などを経て、ソフトバンク広報室長に就任。社内ベンチャーで電子配信会社を設立、取締役会長。2012年春に独立、シンクタンク代表。2015年10月から東日本国際大学客員教授として地域振興政策を研究、同大・地域振興戦略研究所副所長を兼務。

 「新聞が印刷できないなら、壁新聞はどうだろうか」

 宮城県石巻市にある地域紙の石巻日日(ひび)新聞社長の近江弘一は、報道部長の武内宏之に問いかける。

 「やりましょう」

 日日は、部数約1万4000部の夕刊紙である。

 2011年3月11日、巨大津波によって、印刷機能を失った。震災の夜は深まって、近江は翌日の新聞を手書きで発行することを決めたのである。

新聞を出し続けるという決意

 仙台市に本拠を置く河北(かほく)新報社長の一力雅彦は、編集幹部を集めてこういった。

 「河北は地域のひとたちに支えられてやってきた。地域のひとに恩返しをするために、新聞を出し続けよう」

 編集局長の太田巌も、編集部長の武田真一も、翌日の朝刊をなんとしても発行するつもりだった。

 仙台市北部にある最新鋭の印刷工場は、稼動が可能だった。しかしながら、本社にある編集機能を持つサーバーが立ち上がらなかった。

 災害時に相互に編集と印刷を助け合う協定を結んでいた、新潟日報で紙面を制作することになった。

震災から1年
2つのドラマが選んだ舞台は新聞社

 ふたつの新聞社の物語は、それぞれが別のドキュメンタリー・ドラマになった。日本テレビは、「3.11 その日、石巻で何が起きたのか~6枚の壁新聞~」、テレビ東京は、「明日をあきらめない…がれきの中の新聞社~河北新報のいちばん長い日~」。大震災の1周年の前後に相次いで放映された。

 ドラマの登場人物が話す地名は、筆者の記憶を呼び起こす。思い出す風景には、父母や弟や友人たちの懐かしい顔が浮かび上がる。

 気仙沼、雄勝、志津川、万石浦、荒浜……

 そして、筆者は、新聞記者として、社会人の第一歩を踏み出した。出発地は九州の小さな支局勤務。日日や河北の記者と同じ「地方記者」だった。

壮絶な現場 記者たちの思い

 「日日新聞の水沼ですけれど、ちょっと写真を撮らせてもらっていいでしょうか」

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