2024年4月20日(土)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2012年6月5日

 滕がインターネットで公表した通話記録によると、「あなたが中国に残ることは非常に非常に危険だ。本当だ」と滕が持ち掛けると、陳は無言になった。滕はさらに続けた。

 「あなたも知っているだろう。江天勇、範亜峰、唐吉田、余傑、李方平、私(筆者注・著名な人権派弁護士・活動家)……。みんな国際的に影響力のある人物だが、当局の拷問を受けてきた。今回、もしあなたが中国を離れないならば、短期間のうちは彼ら(公安当局)もあえて手を出さないが、(そのうち圧力を強める)。彼らの拷問は恐いし、耐えられるものではない」

 滕は「今、近くに米大使館員は付き添っているのか」と聞いた。「いない。彼らは帰ってしまった。私たちだけしかいない」と答えると、さらに滕は追い打ちを掛けた。

 「大使館に戻るべきだ。もしこの案件が終わらなければ、あらゆる人が非常に危ない。われわれは、あなたが中国を離れたくない心情を理解するが、あなたがとどまっても何もできない」。滕は強く米国行きを勧めた。

 電話をいったん切り、今度は陳が滕に電話した。時刻は午後8時45分。

 「あなたに話したいことがある。彼ら(中国当局)の報復は既に始まっているかもしれない。現在まで夕食を与えてもらっていない。子供はお腹がすいてずっと泣いている」

 滕はその後、電話を袁に代わってもらい、袁にも「中国を離れるべきだ」と伝えた。

 「中国に残ることは非常に危険だ。中米交渉が行われている間は、彼らはあなたたちの安全を守るだろうが、米国人が去ってしまうと、あなたたちは危険だ」

 心情が「国内」か「出国」で揺れ動く陳に対し、袁の腹は既に固まっていた。「分かりました」と滕に答えた。

解決急ぐあまり、陳の心情を読み違えた米国政府

 滕彪のほかに「出国」を強く勧めたのが、米大使館に保護される前日の4月25日に北京の「隠れ家」で、夫の人権活動家・胡佳と共に、陳と会った曽金燕だ。彼女は2日、ツイッターでこうつぶやいた。

 「光誠は私に電話してきた。彼はクリントンに”I WANT TO KISS YOU”とは言っていない。”I want to see you”と言ったのだ」

 米中戦略・経済対話を翌日に控え、陳光誠問題の決着を急ぎたい米政府は、陳や妻子と、ロック、キャンベルらが一緒に写った写真を相次ぎ公開するなど、人権問題に重視した姿勢を国内にアピールした。しかし実際は解決を急ぎすぎるあまり、陳光誠一家の心情の変化を読み取れず、米国が去った後の中国当局の出方に対して読みが楽観的すぎたのではないか。

 袁から「『陳光誠が大使館から去らなければ、山東省に送り返される』と脅された」と聞いた曽は、「光誠は本来、中国を離れたくないが、その後の状況は急激に悪化している。妻子を保護できなければ、出国するしかない」とツイッターでつぶやいた。

 「一家で中国を離れたい」と陳は2日夜、ついに電話で曽にこう打ち明けた。米AP通信は2日深夜、陳に電話取材し、陳は妻が当局者から脅されていたという事実を明らかにしたと伝えた。2日午後に発表された「米中合意」とは明らかに逆の方向へと動き出した。

 陳も3日早朝、米CNNテレビとの電話取材に「米国に見捨てられたと感じている」と漏らした。

「中国で最も敏感な電話」

 陳は病室から自由に電話を受けたり、掛けたりすることができたが、多くの友人たちはこの電話は「中国で最も敏感な電話」と呼んだ。陳が誰に掛けたか、誰から掛かって来たか公安当局は当然のことながら盗聴していたからだ。陳から電話を受けたある人権派弁護士はその直後、さっそく電話で秘密警察「国保」から警告を受けた。

 2日に朝陽病院まで出向いた江天勇は3日も陳に面会しようとして国保から聴力が弱まるほど強く殴られ、一時拘束された。江は国保から「北京を離れなければ、家族のいる自宅周辺で監視を続け、軟禁状態にしてやる」と脅され、自分1人で故郷の河南省に帰るよう強いられた。


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