病いに挑戦する先端医学
谷口克 編著
科学の進歩によって人類はさまざまな病気を克服してきた。しかし、物質文明の発達にともなう様々なアレルギーの発症や、AIDS、SARS、鳥インフルエンザといった新たな感染症の出現、またアルツハイマー病やパーキンソン病などの神経変性疾患にたいしては、いまだ充分な対応はできていない。
現代の医学がこうした病いにいかに立ち向かっているかを、医学に携わる研究者が報告する。
ウェッジ選書<地球学シリーズ>。2時間で読む医学の最先端!
<書籍データ>
◇B6判並製・232頁
◇定価:本体1,400円+税
◇2006年10月30日発売
<著者プロフィール>
谷口克(たにぐち・まさる)
理化学研究所免疫・アレルギー科学総合研究センター長。1967年、千葉大学医学部医学科卒業。オーストラリア・メルボルン・ウォルター・エライザー・ホール医学研究所留学を経て、80年より千葉大学大学院医学研究院教授。2004年より現職。免疫学の最先端で数々の業績を修め、77年、エルウィン・フォン・ベルツ賞受賞、93年野口英世記念医学賞受賞。97~98年、日本免疫学会会長。主な著書に『免疫Q&A』(医薬ジャーナル社)、『免疫の不思議』(岩波書店)、『免疫、その驚異のメカニズム』(ウェッジ)など。
人類の絶え間ない努力によって、文明が発達し、快適な生活ができるようになった。一方で、物質文明の進化は、必ずしも人類にとって都合の良い事ばかりにはなっていない。とくに「病い」という人類にとって不可避な問題を、文明との関わりで考えるのは現代社会に生きる我々にとって必要な事である。そのような時期に、フォーラム〈地球学の世紀〉では、文明の影響を最も強く受けている感染症、アレルギー、肥満、再生医療の四つの領域をテーマにして「病いと文明」を考えた。
ウイルス感染が生物のゲノム数を増やし、高等生物へと進化を遂げる大きな原動力となったと考えられる感染症は、人類にとってかけがえのないイベントであったと同時に、人類最大の脅威でもあり、永遠の課題である。ジェンナーの種痘の発見により、ヨーロッパで猛威を振るっていた天然痘克服の目処は立ったが、地球上から天然痘が根絶されるまでに二〇〇年の歳月を要した。また、第二次大戦後、新規ワクチンや抗生物質が開発され、感染症はもはやとるに足らない存在と思われた。しかし、AIDS、SARS、鳥インフルエンザなどの新興感染症が地球規模で猛威を振るい始め、病原体兵器によるバイオテロが新たな脅威になっているグローバル化した地球社会では、感染症対策は不可欠となっている。
感染症の克服とともに現代人を悩ましている「病い」にアレルギー疾患がある。
花粉症をはじめとするアレルギー疾患は、六〇年前、第二次世界大戦前の日本には殆ど存在していなかった。それが今や、二〇歳代の八〇―九〇%は花粉症予備軍となっている。先進国はほぼ同じような傾向で、アメリカ合衆国、ドイツ、イタリア、スウェーデン等も国民の約二〇%が花粉症で悩まされている。
その一方で、開発途上国にはアレルギー患者はいない。戦後六〇年かけて、われわれは生活レベルを向上させ、生活環境とくに衛生環境を清潔に保つ生活用品を発明した結果、世界一乳児死亡率の低い国になった。抗生物質を使用することによって食糧生産も順調になり、食物連鎖の頂点にいるわれわれの身体は、抗生物質を過剰に摂取するため、以前にもまして清潔になったが、代わりにアレルギー体質を獲得した。このような状態であるから、アレルギーはこれからも増え続ける。アレルギーは、たかだか六〇年間で人間の体質を変えた物質文明に、生命システムが発信した警告かも知れない。
一方、現代人特有の「病い」に、アレルギーと並んで肥満がある。
“肥満”は、現代人にとって見過ごすことの出来ない問題だ。外見的な美容上の問題だけでなく、糖尿病、高血圧、心筋梗塞、脳卒中などの、成人病発症に共通する原因が肥満だからである。最初に肥満を病気と関連付けたのは、レオナルド・ダ・ヴィンチで、ジョコンダ夫人の目蓋の内側に描かれている黄色腫らしき脂肪の塊が、内臓脂肪の蓄積を物語る証拠だと言われている。しかし、肥満が医学的に成人病の原因であることが認識されたのは、ここ五〇年くらい前からである。
最近では、小中高校生の肥満が社会問題になりつつある。学校の近くに設置された自動販売機の数と肥満児の数に相関が見られることが統計的にも明らかになっている。自制を教育されていない現代人が、食べたいだけ食べて肥満になる精神構造が“肥満”を増やしている。文明という快楽の追求と引き換えに与えられた罰であろうか。
そして文明の発達によって人類が享受した最も大きな成果の一つに中枢神経の再生がある。
脳は呼吸などの基本的な生命機能を司るだけでなく、精神活動を営む特別な器官である。このように高度な生命機能を担う中枢神経細胞は肝臓細胞と違って再生能力がなく、一度傷を受けると回復できない。脳梗塞や脊髄損傷、さらにはアルツハイマー病、パーキンソン病、筋萎縮性側索硬化症などの神経変性疾患に対しては有効な治療法はなく、死を待つだけと考えられてきた。
しかし、最近、脳を構成する一千億個の神経細胞のうち、一部に再生能力があり、それらを移植することによって、麻痺した手脚を回復させ、パーキンソン病を治癒させることが可能になった。本格的医療として定着するまでに今少しの時間を要するが、これまで不可能と思われていた脳機能の回復も夢ではなくなった。文明の発達によって新たに発生する「病い」もあるが、不可能を可能にするのは科学である。(続きは本書でお読みください)
<目次>
はじめに
第1部 病いに挑戦する先端医学
第1章 注目される感染症──何が問題か?(倉田毅・富山県衛生研究所所長)
1.感染症とはなにか
・人間の九割は感染症で死亡
・病原体はどこから侵入するか
・ウイルスの最終目的地
・獣のようなグルメが病気をうつす
・ノロウイルスの汚染が進む
・さまざまなウイルス性疾患
2.再び感染症の時代に
・感染症に一国平和主義は存在しない
・増える人獣共通感染症
・SARSはベッドメークから始まった
・減少する熱帯雨林、広がる感染症
・病原性が強いトリインフルエンザ
・ワクチンを決める会議
・バイオテロの脅威
・豊富な食糧が生む不健康な疾患
・医療費三十兆円、健康食品三十兆円
第2章 花粉症はなぜ増えたか(谷口克)
1.免疫とアレルギー
・「二度なし」と「二度あり」
・若い人ほど多い花粉症
・アレルギー増加の原因
・適度の感染症がアレルギーを防ぐ
・アレルギーが発症するメカニズム
・IgE抗体の役割とは
・IgE抗体と無関係な悪循環
2.アレルギーは物質文明に対する警告か
・きれいになった生活環境
・アレルギーの増加は一九五〇年以降
・アレルギーと結核の交差するところ
・スギがなくなっても花粉症はなくならない
・アレルギーを根本的に治療するには
・“Th1人間”になるには
第3章 肥満とメタボリックシンドローム(齋藤康・千葉大学大学院教授)
1.疾患の背景にある肥満
・脂肪と動脈硬化
・コレステロール値を下げる薬
・長生きの原因はなにか
・動脈硬化の危険因子
・危険因子の組み合わせが問題
・生活習慣がバックグラウンド
2.内臓脂肪と皮下脂肪
・人はなぜ肥満するのか
・年齢による脂肪分布の変化
・脂肪と合併症
・内臓脂肪と高インスリン血症
・合併症が起こる背景
3.脂肪細胞を移植する
・脂肪細胞の培養
・マウスによる脂肪蓄積の実験
・皮下脂肪のよいはたらき
・糖尿病の治療に活用
・空腹だから食べるわけではない
第4章 難病へのチャレンジ――幹細胞と中枢神経系の再生戦略(岡野栄之・慶應義塾大学教授)
1.幹細胞を用いた再生医療
・幹細胞とは何か
・世界初の輸血
・再生医療と幹細胞
・造血幹細胞の移植
・白血病の治療に役立つ造血幹細胞
・骨髄移植とドナー不足
2.神経再生への取り組み
・カハールのドグマ
・中枢神経系再生の切り札
・「Musashi」発見
・大人にも神経幹細胞は存在するのか
・ストレスと認知能力
・ニューロンの新生は何歳まで可能か?
3.再生医療と倫理
・パーキンソン病と神経再生
・脳の移植による治療
・脊髄損傷の治療
・霊長類を使った治療実験
・時期に応じた治療法
・国際協力で脊髄再生を目指す
・不老不死は可能か
・再生医療――海外の状況
第2部 対談・病いと文明
谷口克×松井孝典(東京大学大学院教授・地球惑星物理学)
1.感染症が人間をつくってきた
・ウイルスのゲノムを取り込む
・ゲノムの増殖のメカニズム
・感染は人間の進化に必要だったプロセス
・感染に抵抗のある人間
2.肥満という病気
・飽食の時代の病い
・意思の問題として発生する病気
・「食」に対する欲望
・熱中症と花粉症
・戦争のときにペストが流行する
・新しいタイプの感染症
・感染症防疫対策
3.再生医学の現在
・中枢神経が再生するという驚き
・サイボーグと倫理
・臓器移植の問題
・科学のインタープリテーション
・研究成果を還元する
・二十一世紀科学の問題
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