田部康喜のTV読本

2012年8月15日

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田部康喜 (たべ・こうき)

コラムニスト

福島県会津若松市生まれ。幼少時代から大学卒業まで、仙台市で暮らす。朝日新聞記者、朝日ジャーナル編集部員、論説委員などを経て、ソフトバンク広報室長に就任。社内ベンチャーで電子配信会社を設立、取締役会長。2012年春に独立、シンクタンク代表。2015年10月から東日本国際大学客員教授として地域振興政策を研究、同大・地域振興戦略研究所副所長を兼務。

 福島県富岡町、午前7時、地元のサーファーはのんびりした口調で、仲間が波に乗る光景を撮影している。午後2時46分、地震の発生とともに、危機を感じたこの男性と友人は乗用車で高台に逃れようとするが、道路は液状化現象と倒れた民家の塀などのためになかなか前に進めない。

生死を分けた市役所と公民館

 岩手県陸前高田市で写真館を営む男性は、地震発生直後から市内の撮影に入る。ビデオの映像は、市役所から避難所に指定されていた公民館に向かう人の群れを映し出す。避難を呼びかける拡声器の音を聞いた、ひとりの女性職員がとっさに市役所に引き返す。同僚の女性は、公民館に向かう。3階建ての公民館は、巨大津波にすべて飲み込まれ、4階建ての市役所はかろうじて屋上に逃れた人々を救うことになった。

 生き残った女性はこう語る。「あの日は、同期の人たちで久しぶりに飲もうということになっていた。公民館に逃れた人の遺体はすべてみつかった。でも、メールをしたら集まるんじゃないか、まだ呼べば来てくれる気がする」と。

 一瞬の差で、公民館に向かって亡くなった女性職員は結婚式を控えていた。

 あの日の夜、空中のヘリコプターからの中継によって映し出された、火の海に包まれた気仙沼。地震から30分ほど経って、巨大津波が川をさかのぼってくる映像のなかで、人々に緊張感がみられない。堤防越しに津波の遡上をながめる人も映っている。

 撮影していた男性のカメラの視点が大きく揺らぐ。迫り来る津波に驚愕して、自転車で逃げようとしたのである。カメラは地面を写すだけとなり、一瞬途切れるようになって、その男性が石碑によじ登ってかろうじて生き残ったことがわかる。

女子児童を捜し続ける家族を追ったドキュメント

 NNNドキュメント「きっと会えるから…大川小 遺族の1年」は、巨大津波が襲った宮城県石巻市の大川小学校で遭難した、女子児童の家族を追った映像である。日本テレビが3月19日に放映した。制作は震災地の仙台の本拠を置くミヤギテレビである。

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