2024年4月20日(土)

世界潮流を読む 岡崎研究所論評集

2012年9月4日

 ジアンとベルによる本論説もその中の一つですが、あたかも「孔子学院」の宣伝文句を想起させるような内容のものとなっています。民主化の選択を回避しつつ、現在の共産党支配を正統化するためには、「温情的権威主義」による以外ないとの結論がまずあって、民主主義に代わる政治理念を提示して見せたということなのでしょう。

 しかし、儒教的な徳のある「賢人政治」だけでは、今日の中国の抱える問題、すなわち、貧富の格差、汚職、権力乱用、人権抑圧などの山積する問題への具体的処方箋とはなり得ません。

 例えば、頻発する集団的抗議活動に対し、当局としてどこまで弾圧し、どこで妥協するか、一部末端組織(広東省ウカン村など)で実験的に行われた民主的選挙をどこまで許可し、どこで一線を引くか、あるいは、ネット上にあらわれる個々の意見をどこまで取り締まるか、など現実の問題を処理する上で、「温情的権威主義」という精神論はほとんど役に立ちません。せいぜい、温情的権威主義は、非情な権威主義よりはまし、という程度の意味合いを認めることができるだけです。

 振り返ってみれば、孔子や儒教は文革中、保守反動の権化として罵倒され、今日では、儒教が国教であった歴代王朝時代に回帰したかの如く、救世主のように取り扱われるようになっています。そこに、中国共産党の転変と便宜主義、ひいては大いなる歴史の皮肉が感じられます。

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