中西進と読む「東海道中膝栗毛」
中西進 著
『東海道中膝栗毛』という作品を読んだことがなくても、弥次さん北さんといえば、だれ一人、知らない人はいないだろう。弥次さんと北さんはこの『東海道中膝栗毛』の主人公である。作者は十返舎一九。『膝栗毛』は発端から第八編までが少しずつ、いろいろな形で出版されて、享和二年(一八〇二)から文化十一年(一八一四)に及んだ。その中でおもしろそうな話題を選んで読者に紹介しようとしたのが本書である。
東海道の駅々を歩きつづけた弥次・北の旅は無類に楽しい。江戸の町の裏店に住む二人は無邪気に人間性まる出しで憎めない。珍道中もいいところで笑いが止まらない。そのうえ、作者はきちんと文明批評も忘れない。 「この世は感じる者にとって悲劇であり、考える者にとっては喜劇である」という名せりふがある。作者は感じることの気高さなど、てんで信じてはいなかったらしい。さりとて考えすぎると、また重くなる。程よく考えると深刻に見えていたものが、馬鹿ばかしくなり、深刻になっている自分まで、滑稽に思えてくる。この世間との、距離のとり方がいい。だから喜劇として世間を見る賢さも、この時代の文筆家には備わっていたことになる。そして、なによりも古い都会の京と新しい都市の江戸とが、こうも違うのか、と現代の読者はおどろくだろう。
雑誌「ひととき」創刊号から足掛け七年、七十四回つづいた連載の待望の書籍化!
<書籍データ>
◇46判並製・256頁
◇定価:本体1,600円+税
◇2007年10月22日発売
◇ISBN: 978-4-86310-006-0
<著者プロフィール>
中西進(なかにし・すすむ)
一般社団法人日本学基金理事長。文学博士、文化功労者。平成25年度文化勲章受賞。日本文化、精神史の研究・評論活動で知られる。読売文学賞、日本学士院賞、菊池寛賞、和辻哲郎文化賞、大佛次郎賞、奈良テレビ放送文化賞ほか受賞多数。著書に『日本人の忘れもの』全3巻、『中西進と歩く万葉の大和路』『万葉を旅する』『国家を築いたしなやかな日本知』、『日本人意志の力 改訂版』、『情に生きる日本人 Tender Japan』(以上ウェッジ)、『うたう天皇』『楕円の江戸文化』(ともに白水社)、『日本人の祈り こころの風景』(冨山房インターナショナル)、『こころの日本文化史』(岩波書店)、『日本人の愛したことば』(東京書籍)、『中西進著作集』(全36巻/四季社)他多数。
1 はじまり、はじまり
旅の道づれといえば、いまでも弥次・北のふたりである。今から二百年ほど前、享和二年(一八〇二年)に出版された十返舎一九の『東海道中膝栗毛』が大当りをとった。その主人公がこのふたりだからだ。
ふたりの道中はユーモアたっぷり、読者は爆笑につぐ爆笑となる。その旅ぶりのエキスを、これから毎号紹介していこう。
まずはその発端。
弥次はフルネーム弥次郎兵衛。駿河出身の商人だが、おっちょこちょいで遊び好き。旅役者に入れあげて落籍せ、男色にふけって親の身代をつぶし、仕方なく江戸に出て来た。今や、神田八丁堀に住むなまけ者である。
弥次は女房にいわせると色が黒くて目が三角、大口で髭だらけ。胸から腹へたむしがべったり、足も不潔だから皮膚病でかさかさ、寝ると臭いいびきをかく男である。
しかし無類に、気持がいい。
北こと喜多八は、落籍せた旅役者である。食客として養っているが、この方はなかなか才覚があって、けっこう商売上手である。貧乏にこまった弥次が奉公に出させても、小銭がたまる身となる。
ところで弥次。独り所帯のむさくるしさを見かねた近所から女房をあてがわれるが、かいがいしい世話がうっとうしい。陰気くさくて仕方ない。
そこで女房追出しをはかる。友人に頼んで言う。昔なじんだ女というふれ込みで女をつれて乗り込んできてくれ。そうしたら女房も身を引くだろうと。
武士に化けた友人、「妹」をつれて来る。成功。女房は泣く泣く出ていく。
しかも女は身重。さる御隠居の手がついた女だから、引取り料として十五両くれるというから有難い。
ところがそこへ北がやってくる。北は、じつは十五両ないと奉公先を追出されるから十五両工面してくれと、かねて弥次に無心していたのだった。大丈夫、融通してやると弥次が胸をたたいていたのは女の持参金十五両をあてにしてのことだ。
さて北は、女を見るとびっくり。じつは北は、手を出した女が身ごもり、始末に困って友人に十五両でどこぞへ片付けてくれと頼んでいた。その女だったのである。もちろん、この十五両は弥次から借りるつもりだった。
おまけに、そうこうする内に女は産気づき、七倒八転、あげくの果に死んでしまう。
けっきょく奉公先を追い出された北がまた弥次の元にもどり、ふたりはつまらない身の上にあきて、いっそ運なおしに東海道の旅に出ようということになる。借金をしての、お伊勢まいりである。
こうして『膝栗毛』はとんだドタバタ劇から幕を開ける。
この話の中で、女房を追い出す手段としてにせ者の武士の登場するのがおもしろい。井原西鶴の作品にも、親類縁者をいさめる時に武士に化けた男が出てくるから、当時はやった手段だった。江戸時代には身分階級はきまっているはずだが、もうこれでは、他人をおどす装置としてしか武士が使われていない。
江戸の町人は、それほどしたたかに成長していた。身分制度にしばられることも陰気くさいことだが、女房にしばられるのも陰気くさがったのが弥次・北である。市民生活の建前や日常の退屈さ。それが彼らをユーモラスな旅にさそい出したらしい。
しかも弥次は駿河出身。北は旅役者。もともと江戸の根生いの人間ではない。十八世紀の大都会・江戸も、一見の成熟した文明ぶりを誇ってはいても、やはり寄せ集めの集団をかかえていたことがわかる。
今でも東京は、お盆になるとからっぽになるという。そんな日本の都市のあり方が、東海道の旅人を作り出すのだろう。
そもそも、日本の人口は、移動人口なのかもしれない。
その上、当時は、道のかなたにありがたいお伊勢さまがあった。弥次・北も都会のアンニュイ(倦怠)にいや気がさして旅に出たともいえるが、また、アンニュイからの脱出に失敗した、かなわぬ時の神だのみの旅であったともいえる。
それもまた庶民的で、いいではないか。(続きは本書でお読みください)
<もくじ>
発端/初編(江戸~箱根)
1 はじまり、はじまり立ち読み
2 まずは大名行列と馬方
3 街道は日和うららか
4 親子連れのふりをしてみたものの
5 黒コゲ団子を食ったわけ
6 長道中には謎も一興
7 風呂騒動 小田原
二編(箱根~岡部)
8 天下の険を越える二人
9 すっぽん騒動
10 田舎侍相手のことば遊び
11 面白ければ偽物でもいい
12 雷と北八が落ちた話
13 歩きながらいびきをかく馬子
14 遊廓での三々九度とは
15 とろろの宿の夫婦げんか
三編(岡部~新居)
16 江戸風を吹かせた結末
17 大井川、にせ侍騒動
17 田金谷での地獄極楽問答
19 死んだ女房を呼び出した一夜
20 座頭をからかった報い
21 遊廓通いの虚勢
22 幽霊が出た雨夜
23 海上で暴露した刀の正体
四編(新居~桑名)
24 蒲焼のむくいが猿が餅
25 街道で渡世する者ども
26 いま、義経が旅をしているわけ
27 夜道で「狐」と出合う
28 鳩が豆を食う話
29 うまくだました買物ばなし
30 旅は歌に浮かれて
31 ふんどしの功罪
五編(桑名~山田)
五編追加(伊勢めぐり)
32 あべこべの効用
33 体温の違いが分かれ目
34 饅頭の食べくらべ
35 口論のとばっちり
36 煙草から始まる都のケチぶり
37 にせ一九事件
38 夜道の化け物
39 ディベートのテーマはトイレ
40 お伊勢参りのハードル
41 伊勢のカミを馬鹿にした罰
42 言葉を変えても在所はばれる
43 笑いでつづる参詣案内 宇治
44 血まよった弥次
六編(伏見~京、京内めぐり)
45 江戸者はつらい
46 淀川、夜船の尿瓶騒動
47 伏見のうすい甘酒
48 穴から出す知恵の数かず
49 京都の喧嘩うらおもて
50 清水の舞台からとんだ、ことになった
51 花の都の裏通り
52 お女中ことばにふり廻される
53 食事代をボラれた顛末
七編(京内めぐり)
54 古着、じつは幟の染物
55 京ことばを知らなかった喜劇
56 江戸版・ベニスの商人
57 思わぬ梯子の功徳
58 「ケイタイ」できない梯子
59 江戸者の無用の長物
60 ふんどしの紐が切れた話
61 天神様におあずけした梯子
八編(大坂見物、生玉~住吉)
62 オオカミにだまされる江戸者
63 地図にかなわない望遠鏡
64 上方トイレの江戸長唄
65 「デイデイ」の正体は何だ
66 富札をあてこんだ勢い
67 十文字は借着のしるし
68 拾った夢の結末
69 江戸にない物、上方にない物
70 日傘代りの障子が仇
71 ウマくつけた喧嘩の決着
72 降って湧いた男めかけの話
73 美女後家と差しつ差されつ
74 しめくくりは江戸者の太っ腹
75 おしまい――よきかな、人間。
あとがき
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