佐藤忠男の映画人国記

2012年11月28日

»著者プロフィール

 宮下順子は1949年、世田谷の出身。喫茶店のアルバイトなどからスカウトされて成人映画に出演するようになるが、日活がロマンポルノをはじめてから、その主軸の女優として大活躍した。ロマンポルノが単なるポルノではなく芸術的にも価値あるものだという評価を得るようになったのには彼女の貢献が大きい。「実録阿部定」(1975年)や「赫い髪の女」(1979年)など、名作といっていい力作であり名演である。

 桃井かおりは1952年、世田谷の出身。父は国際政治学者で母は宝石デザイナー。本人はロンドンに留学してバレエを修業したが、俳優活動に進路を変えて文学座に入った。現代の若者の欲求不満を体現するような独特の立居振舞や喋り方をつくり出し、山田洋次監督の映画「幸福の黄色いハンカチ」(1977年)でそれを全面的に開花させ、一躍売れっ子になった。そのユニークさをしっかりと保ちながら、着実に演技派の地位を築いた。

『母べえ 通常版
DVD発売中 ¥3,990(税込)
発売・ 販売元:松竹
(c)2007 「母べえ」製作委員会

 吉永小百合は1945年、渋谷区代々木西原町出身。父親は外務省官吏。両親は彼女が幼い頃から彼女を芸能界に入れることに熱心だった。だから小学生の頃からラジオドラマに出演している。父親のつてで高校時代に日活に入り、名作「キューポラのある町」(1962年)で大ブレイク。まじめで純真な少女のシンボルのような存在となった。以後、熟年になった今でも映画の大作を背負って立てる人気スターであり続けている。67歳になっても美しさでスターであるという女優はかつてない存在で、高齢化時代の希望の星といえるだろう。「母べえ」(2008年)などの傑作もある。

 若尾文子は1933年、荒川区尾久の出身。戦争中に仙台に疎開し、戦後、東京に帰りたい一心から地方巡業に来た長谷川一夫に頼んで女優の道に進んだ。溝口健二の「祇園囃子」(1953年)「赤線地帯」(1956年)の2本の名作で演技を磨かれたうえに増村保造の野心作である「妻は告白する」(1961年)や「清作の夢」(1965年)、さらには女性映画の名手吉村公三郎の「越前竹人形」(1963年)などの名作で、一時期の大映を背負うスターとなった。

(東京都編終わり。次回は長野県の予定)

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