チャイナ・ウォッチャーの視点

2012年11月16日

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平野 聡 (ひらの・さとし)

東京大学大学院法学政治学研究科教授

1970年、神奈川県生まれ。東京大学法学部卒業。東京大学法学部教授。アジア政治外交史担当。著書に『大新帝国と中華の混迷(興亡の世界史17)』(講談社)、サントリー学芸賞を受賞した『清帝国とチベット問題 多民族統合の成立と瓦解』(名古屋大学出版会)がある。

地政学的空白が生まれたチベットを
見逃さなかった毛沢東

 当時のチベットにとっては、出来れば英国が永遠にインドに留まり続けることが望ましかった。しかしそれは、インドの苦しみと表裏一体であるため難しい問題である。1947年にインドから去った英国は、香港の平穏を保つ立場ゆえに早くも1950年に中華人民共和国を承認していた。日本は敗戦でアジアの大陸から消え、それにとって代わる米国の存在感は依然弱い。中ソ関係は、スターリンと蒋介石の親密な関係ゆえに曲折があったものの、人民共和国としては当面「向ソ一辺倒・中ソ蜜月」に決した。最早、チベットを本気で保護し、中国を牽制する存在はない。しかも、1950年には朝鮮戦争が勃発し、全世界の注目は朝鮮半島に集まっていた。

 チベットが滅多にない地政学的空白となった状況を、軍事の天才である毛沢東は見逃さなかった。中共は北朝鮮に義勇軍を送る傍ら、人海戦術で難路を越えてチベットに進撃し、孤立無援なチベット軍は敗残を重ねた。そして1951年5月、チベット政府代表団はついに、「中華人民共和国が帝国主義からチベットを解放し、祖国の大家庭の懐に戻らせる」ことを主旨とする「十七条協定」に調印させられたのである。

*後篇(2012年11月19日公開予定)に続く

[特集] 中国によるチベット・ウイグル弾圧の実態


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