2024年4月20日(土)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2012年11月19日

 「和諧(調和)」をうたう支配のもと、チベット人は80~90年代には想像もできなかった塗炭の苦しみに喘ぎ、中共が支配する現世に訣別しようとする焼身自殺が相次いでいる。その代わりに、漢人はラサの街を我が物顔で闊歩し、仏教寺院内は漢人観光客の喧噪で満たされ、チベット人が何よりも尊ぶ静かな祈りの空間は半ば消失したも同然である。世界史上に植民地は数あれど、かくも土地本来の主人公が行動を制約されるという事例はどれだけあるだろうか? このような権力と同じものが、いま日本に対して向けられているとしても、それは果たして考えすぎだろうか? そして早いもので、あと約半年で2008年のチベット独立運動噴出から5周年を迎える。

尖閣問題で対日攻撃の先頭に立った胡錦濤

 かくもチベットに残酷な支配を敷き、今や尖閣問題で対日攻撃の先頭に立つのは誰か? 共通するのは過去10年間中共の最高権力者でありつづけた胡錦濤氏の存在と、彼の支配を正当化した中国ナショナリズムの体制教義そのものである。

 胡錦濤氏は、80年代に共産主義青年団第一書記となったことを通じて、改革派・親日家である胡耀邦氏の薫陶を受けたこと、そして青年友好使節団として日本を訪問したことから、これまで日本では「知日派」、あるいは江沢民派と一線を画する開かれた改革志向の人物であるとみられることが多かった。10月28日付『産経新聞』によると、今般の第18回党大会を控え、安定的に発展しようとする中国の現実に不適合な「労働者・農民の武装革命」を旨とする毛沢東思想を党規約から外すべく、党内で最後の暗闘が繰り広げられたという(結果的には、「毛沢東思想」は外されなかった代わりに、胡錦濤時代の指導思想である「科学的発展観」が盛り込まれた)。

 では、そのような胡錦濤氏とその時代を果たしてどのように理解すべきか? 本心は開かれた改革派で、様々な国内矛盾や日本との対立は意図せずしてやむを得ず起こったものなのか。それとも「知日派」「改革派」としての姿は幻想に過ぎなかったのか? あるいはもしかすると、中共中央指導者の指導者たるゆえんを一貫して読み切れずに、その場ごとに気紛れな期待を寄せ続け、ついに「想定外」の強硬な反応に慌てふためくという、外国政府・メディア・研究者の説明責任の問題なのだろうか?

 彼はそもそも、文革の混乱と沈滞を横目に水利技術者となり、勤務先である黄河上流のダム建設現場での実務を通じて党官僚としての頭角をあらわした人物である。その後共産主義青年団第一書記・貧困地域である貴州省の党書記を務めたのち、1988年にチベット自治区党書記として赴任し、独立運動を弾圧し「安定」を実現したことを鄧小平に評価されて党中央入りを果たした。その後の功績や功罪は多くの場面で語られている通りであろう。


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