障害者アスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2013年1月9日

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 「僕は臆病者なんですが、目立ちたがり屋で『ヒーローになりたい願望』がありました。留学は怖かったんですよ。でも当時は誰もしていなかったのでカッコよかった。見られている実感を得たかったんです。もともと自分を変えたいと思って、その思いがたまりに溜まっていたところへ、ウィルチェアーラグビー連盟の塩沢会長から留学の話が出ましたのでタイミングがよかった」

 両親は不安から反対したが、兄姉や恩師に応援されニュージーランド留学を決めた。自分を変えようと踏み出した勇気の一歩である。さらに前に進むためには、ニュージーランドに行くしかなかった。

 「だから、ニュージーランドのことを調べもせず、ガイドブックも買わないで現地に行きました」

 実はこの時、なんとホームステイ先も、語学学校も、チームに入れるかさえもまだ確定していなかった。「もしかすると自分はとんでもないことをしているんじゃないか」そんな思いが過りながらも4カ月間の留学生活が始まった。

言葉、文化の壁に挫折も
「自分から動き出さないと何も変わらない」

 「英語が怖い」

 はじめの1カ月間は言葉の壁、文化の壁に悩まされた。さらに三阪が所属した「カンタベリー」は、ニュージーランド代表を5~6名抱えるハイレベルのチームである。練習にも付いて行けなかったことが追い打ちとなった。三阪は生活の全てに行き詰りを覚えた。

 だが、ある日のこと、「英語を怖がり、自分はこの期間に何が出来たのだろう」「ここまで来て、また引きこもるのか」「このペースで4カ月やって、日本に帰れるのか」と自身を顧みた。

 「俺はこのままじゃ帰れない」

 三阪は美容院で髪をばっさりとボウズにして気持ちをリセットした。

 それからは語学学校でも、練習でも、身振り手振りでぶつかっていった。特に練習では「もう1回やって」「次はこれをやって」と積極的にコミュニケーションを図っていった。すると「おまえは面白いやつだ」と仲間が増え、練習の枠を越えた付き合いに広がっていったのである。

 このとき三阪が掴んだものは、「自分から動き出さないと何も変わらない」という人生普遍の真理だった。

 「毎日が生きた勉強に変わりました。車いすラグビーもわかってきて、褒められることが嬉しかった。2軍でしたがスタメンで最後の大会にも出させてもらいました。生きている心地がして、自分の存在意義を感じることも出来ました」

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