2024年4月24日(水)

パラアスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2013年1月9日

 「日本では何かにつけ障害者だから、という見方をされましたが、ニュージーランドでは障害があったとしても、一人の人間として尊重してくれる環境がありました。4カ月の留学でしたが、これ以降、僕の人生は劇的に変化していきました」

 以後、三阪は遥かなる世界の頂点を目指し、ウィルチェアーラグビーの日本代表として2004年アテネ、2008年北京、2012年ロンドンパラリンピック3大会に連続出場を果たすと共に2010年には、サウスオーストラリア・シャークスに所属し、オーストラリアリーグにも挑戦している。

 2011年4月にバークレイズ証券に入社。現在練習は週に3~4回行い、移動も含め1回7時間ほどをウエイトトレーニングと走りのメニューに分けて行っている。

障害を「受け入れる」ということ

(撮影:筆者)

 「障害を負い、絶望したまま人生を送っている人がいますし、障害を受け入れられずに思い詰めて亡くなっている方もいるはずです。僕も障害を負って初めて知ったことですが、たとえ車いすになったとしても、その先にいろいろな世界があることを伝えたいんです。少なくとも僕にはそれがあった。だから、障害を負ったからといって、人生に絶望し、それで終わってほしくないんです。無限に広がる可能性を知ってほしいんです。僕は車いすラグビーによって人生が変わったわけですから、僕が発信しなければいけません。たとえそれが小さな声であったとしても、誰かの人生を変えることになるかもしれません」

 「障害を受け入れるには時間が必要です。僕も時間が掛かりました。この障害を受け入れるかどうかで、その後の人生が大きく変わります。そこで停滞するか、大きく変わっていくか、障害者にとってもっとも大きなテーマだと思います」

 「僕はバークレイズ証券の社員として、社内のダイバーシティ・コミッティの中でも特に障害者に焦点を当てた活動『Reach』への貢献を業務のひとつとして行っています。僕ひとりではなくバークレイズ証券の『Reach』の活動を通して仲間と発信、活動していくことでもっと大きく響かせることができるはずだと確信しているんです。会社の中でたくさんの活動をさせてもらいながら、これからも発信し続けていきたいと思っています」

※性別や身体の状態などさまざまな背景を持つ人々がアイデアや才能を発揮できるような職場環境を作る取り組み


三阪洋行(みさか・ひろゆき)
1981年大阪府東大阪市に生まれる。
ウイルチェアラグビー日本代表副将。HEAT(大阪)所属。布施工業高校ラグビー部3年生の時に、練習中の事故で頸椎を損傷し車いす生活になる。8カ月間の入院生活のあとに車いすラグビーと出合う。2002年に「自分を変えたい」とニュージーランドに4カ月ラグビー留学。2010年、サウスオーストラリア・シャークスに所属しオーストラリアリーグに参戦。日本代表として2004年アテネ、2008年北京、2012年ロンドンのパラリンピック3大会連続出場を果たす。
2011年バークレイズ証券入社。


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